アリーヴェデルチ (ジョジョの奇妙な冒険 Part 5 黄金の風 アニメ版感想) の最後に書こうと思ったが、長くなりすぎるので分割した部分です。
そしてあわよくばと加筆(オイテメェ)
最初におことわり
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- これは第6部原作の感想記事ではありません。
- 第1部-第5部のストーリーを把握した上で、第6部を読み返して驚いたこと、そしてジョジョにおける運命の表現について自分の解釈を書いた記事です。
- 具体的なネタバレはありません。
ネタバレはありませんが、上述通りジョジョという作品で頻出する概念について自分なりの解釈を書いているので、そういう話を先に聞きたくない方は注意してください。
また、個人の解釈なのでまったく見当違いのことを言ってるかもしれません許して(許せない)
第5部まで見終わってココロジョジョルも見て満足した後、ふと思った。
第5部までストーリーを把握したので、それでもってこの状態で第6部のストーリーを見直したらどう思うのか。
記憶が薄れたまま第6部をアニメで最後まで見たい気持ちもあったが、時間がかかりすぎると思ったし、すげー気になってしまったので、原作で唯一所持している第6部を最後まで読み返しました。
そしたら
第6部で出てくるジョースター家やDIOへの言及に関する情報を、今まで食ったパンの枚数のごとく全て忘れていたことに気付いた。
まったく何の前提知識もなく第6部を読んでいた当時の記憶の中に、そういう事が一切残ってない。
そして読んでも思い出しすらしない。
承太郎が徐倫の父親という以外はなにも。
たしかに読んだのは相当前の事だが、そこまで忘れるものなのか?
やっぱり前提知識が無いと、ジョースターの歴史と因縁があってそうなっているという理解がないから、記憶として定着しなかったのか?
わからないがたぶん、前提知識なしに第6部を読んだから、いくら説明されても敵は単純にPであり、承太郎は主人公の父親という存在以上のものではなく、あくまで単なる徐倫の物語として受け止めてた、という事なんだろうか。昔の自分に聞けないからわからないが。
第6部はジョースターの歴史で重要な位置にあると思うが、それまでの話を全部すっ飛ばして読んでるため、その重要性も理解できないし、ただ説明どおり因縁があるんか~…そうか~…くらいにしか思えなかったのだろう。
それでももっと大人だったら、徐倫の承太郎との関係や、ウェザーの境遇などに何かを感じ、単品作品としてももっと感動できるところがあったのかもしれないが、いかんせん読んだ時に子供すぎた。
という事が今ようやくわかりました()
ジョジョにおける運命の表現
(子供の自分の中に残っていたこと)
そんなに忘れていたのか、などと考えていたら、ジョジョは大人になったからこそわかる部分も多い物語なのではないか、と思った。
これは第1部のストーリーからすべてに言えることなんですが。
第1部~第5部は原作もアニメもリアルタイム当時の事はまったくわからんので比較ではないが、この物語を今見ているからこそこう感じるのだろうな、と思う部分あった。
今回第6部の細部を忘れていた原因は単独で読んでたせいだと思うが、それ以外にも読み返してみると、子供心には印象に残っていなかったけど今は感動する部分などがあったので。
ジョジョは子供が読んでも面白いとは思うが、細かい部分を感じ取るのは難易度が高い気がした。儂が出来てなかっただけだろうか…
アニメで徐倫の声を演じているファイルーズあいさんは、中学生の時にストーンオーシャンを読んでて勇気づけられたようだから、どのくらい感じ取るかは個人の感性の問題かもしれないが。
子供の頃ただ単に面白いと思ってた作品が、大人になって見たらもっと良いところが沢山あると気付き、ちゃんとわかってはいなかったがこの作品に触れてて良かったぜ!!!などと思うことはありますが。それもそれで嬉しいが。
ほんとに儂はそんな感性死んでたんか、というと、印象的だった事が何もないわけではない。
F・Fの事は色々すごく印象的だったのを覚えている。儂はとにかく人間ではないキャラクターに異常に惹かれる傾向があった。って今もそうだが
当時の自分の記憶に関してF・F以外で言えるのは、第6部でも描かれた運命の表現が、子供なりに自分の中に残ったと思う。ということ。
それは複雑なもので言い表すのは難しいんだが…
なにせジョジョで描かれてきた運命というものの表現が、第6部では各段にややこしくなっている。今まで積み重ねてきたその複雑な表現をいきなりバンと提示されて理解できるはずもなく…最初読んだ時はただただ「いやようわからんな…」という感じだったと思う。
だから心に残ったものも複雑なんだが、どのように残ったのか無理に言えば、運命のようなものに従いたくない、という気持ちだと思う。
この気持ちのすべての原因が、ジョジョを読んでようわからんなりに感じたその何かのせいなのだ!とは思わないが、儂は基本的に運命という考えに否定的だ。良い概念として考えていない。
そのため第1部からアニメを見たり今回読み返すまで、ジョジョ第6部は面白いけど、運命を肯定するならそこは嫌だな…と思っていた。
儂は運命というものの存在自体信じていないが、でも物語の中ではよく使われる概念だから、運命に対する自分の考えが全く無いわけじゃない。
仮定するなら、運命は自分を縛るものと考えている。なにか課せられた負のものであり、自分で行動しなければそれを破れない。
だが人によっては運命は破れるものではなく、すべて決まっていると考える人もいる。運命を打ち破ったと本人が思ったその行動さえも、運命の中に内包された定められた行動でありどうやっても決まっている結果がある、みたいな。
だが、だったら、不幸が決定された人生とかが存在することになるんじゃないか?運命がすべて定まっているなら、全員が幸せになることは有り得ない。世の中には明らかに不運な出来事に見舞われて死んでしまう人だっているわけだから。
運命が定まってるならそれがその人の運命だったということで、ifが無い。つまりどうあがいても不幸な人生が存在することになる。
でもそう思うのはあまりにも悲しすぎる。運命の証明をした者は誰もいないのだから、今は不幸な人生でも行動によって打ち破れると考える方がよい。
もっとこうしておけば、と後悔する事は誰でもあるだろうが、逆にあの時こうできたから良かったのかな、という事もあるはずだ。
究極は、あの時こう判断したから命が助かった、とか。
決まった運命ではなく、そういう選択が人生を変化させる。このままでは自分はだめだ…これが自分の人生なのか?こう決まっているのか?ではなくて、選択により変えられる。儂はそう考えた方がいーよなーと思う。
そうでなかったらなんかもう生きなくていいという気がする。
で、今回ジョジョのストーリーを第1部から第6部まで見て思ったのは、ジョジョで描かれているのは明らかに、運命は絶対である、ということではない。
(煮え切らない言い方だが、ジョジョにおける運命は複合的な描かれ方をしているから、運命は変えられる/運命は変えられない、みたいな言い切りができないと思う。だからこのように書いた)
ジョジョでは運命を変更する、打ち破るという描写も何度かあったし、確実に起こるとされた事が覆る、という描写もある。
幽波紋の能力などにより、変更できない未来とかは描かれる。過程は違っても必ずその結末になる、というような。
だが、その過程の中で自分がどれだけ前に進もうとしたか、自分の行動次第で何かを変える事はできる、という事が同時に描かれる。
決まっていたと思われる運命の中でも変数を生み出すことができ、変数を生み出すのは、絶望的状況でも前へ進もうとする意志であるというか。
そういうところが良いと思う。
一方で、運命で決められている出会い、どうあっても引かれあう人々みたいな表現もある。それは不運、幸運、両方の意味で使われているんだが、この出会いについては打ち破られる表現が少ない気がする。
良い意味での出会いは運命で結ばれた関係のように描いており(必ずしも恋人とかではなく友人関係においても)、これがややこしいところだ。
こういうところが、ジョジョにおける運命の表現が複合的だと思う理由だ。
荒木飛呂彦的考えの中には、1本の運命の流れのようなものはなくて、様々なかたちの運命が大事から小事までいろいろあり、決まった運命もあれば変えられる運命もあるという考えなのかもしれない。
それか1本の運命の流れの中にさらに様々な運命が含まれているというか。
これがほんと個人的にけっこう難しいなと思う部分なんだが、運命は絶対、という描き方でないならそれでいいのだ。儂的には。
第1部からアニメを見て、第6部を読んで、やっとこう思えた。
ジョジョは運命を明確に打ち破る、という表現はしない作品であり、暗い話だと勘違いしていた。
でも実際のとこジョジョは、理不尽だったり不幸な出来事を取り入れて現実味を出しながら、運命によって幸にも不幸にも導かれる描写をしつつ、最終的には、絶対に前に進む意志が運命を希望ある方向へ変えることができる、と描いている作品だと思った。
たぶん。自分の意志を未来へつなぐことが出来る、という言い方でもいいかもしれないが。
だから全方向的に運命を肯定する話ではないのだと理解した。
こうして考えを改められて、よかったと思う。
まとめ
いやほんとうに、ジョジョは運命を絶対的なものとはしていない、と知ることができて良かったと思っている。
今でもキャラクターの死とかではなく全体的なストーリーとして、なんだよォなんでこんな事になるんだよォォ!!!って思う部分もありますが、何もかも完璧に好きになれる作品なんて存在しないと思うので。
すべて自分の解釈ですけどね…人それぞれの解釈でいいと思うのだが、あまりにも的外れな解釈だったら嫌だし、適切な解釈という自信もないが。
でもジョジョの世界の中には愛があり、人を想う気持ちがいろいろな形で描かれている。自分の心に従って生きたり、自分の人生を生きる勇気や、正義なども描かれている。
その正義は戦争で勝ったほうが正義とかいう部類のものではなく、人間や心ある存在が持つべき気高い精神として描かれている。
これらは解釈の問題じゃなく実際描写されている事であり、そういうところもすごく良いし好きな部分です。
まだ続いてるけど、ジョジョアニメ本編すべて面白かったです。
第6部ストーンオーシャンのアニメ続きも早く見たいんじゃァアアアア~~~
言ってる事がわからない…イカレてるのか?…この状況で
って早く言ってほしいです()
第1部から第5部を見た事でこの台詞の趣を真に理解した儂は今すぐ欲しいんだそれが(おとなしく正座待機せよ)