誰かの中の1日目
西村 烏合
chapter 11
気分が落ち着き、それまでが嘘のようにVASに入れた事を喜んではしゃいでいたサーズデイから聞いた話によれば、ミスター・フリントがロバート・サーズデイの人格移植を行ったことは確実だった。
セスはメロウエスケープ・ホテルの部屋のベランダから、キャラバン・プラネット115のパノラマを見渡した。アレックスは隣に立って、同じ場所を眺めた。
道路は地上も空中も、絶え間なく行き交う車両や交通機関で隅までなぞられている。惑星から漏れ出し、噴火した黄金色のマグマのような無数の輝き。遠くには軌道エレベーターの巨大な光が、濃い黒を引き裂いて夜空の上まで伸びている。それに比べれば小型艇の駐車塔は小さく見える。だが常に止むことのない離着陸の光跡が、光るハチの巣のように騒がしく、明るさでは負けていない。地上のナイトクラブ街はいつもより盛況だ。眠ることのないトラッフィカー通りは好き放題な色を放ち、こんな夜中にも到着したばかりの客の相手をしようと売り込みは衰えることがない。
軌道エレベーターの利用者は一日20万人以上。観光客も、労働者も、犯罪者もすべてがそこに流れ込む。
「賞金首に困ることはないな。ここなら」セスが感慨深げに言った。
「ここはかなり混雑してる方だが、スカイアライアの一日の観光客数は54万人らしい。スカイア星系全体では151万人超だ」
「…ずいぶん人気なんだな」
自分の知らない場所でそんな数の異星人たちが行き交っているということは、アレックスにとってさえ、情報として理解できても親近感の持てない話ではあった。以前は。ずっと自分の生まれた惑星の、その中のさらにごく限られた場所でしか暮らしたことがなかったのだから。しかし宇宙に出てしばらくすれば、そんな混沌とした生命の貿易図の感覚が簡単にわかってくる。
セスはベランダの手すりに体をあずけ、実感のわかないスカイアライアに思いを馳せながら、明日には離れる惑星の夜景に向き合った。
「ここの星はよかったな。景色も好きだし。ホロスケープを買っていこうかな。アレックスの船にはヴァーチャル・ウォーク用のデッキあるんだろ?」
楽天的な言葉を発するヒューマノイドの顔は、部屋の薄暗いオレンジの明かりと、永遠にネオンに照らされ続けている夜の青白い光を受けている。
「なんで何も言わないんだよ。アレックスもほんとは感傷的になってるんじゃないのか?ここを離れること。やっと離れられるとは思うけど、ずいぶん色々あったし。全部良い事じゃなかったけど」
ベランダから部屋に戻ると、セスはソファに座って武器の手入れをはじめた。アレックスから教わったばかりでまだ怪しげなところが多々ある。それに部屋全体の電気をもっと明るくすればいいのに、ソファの横の間接照明の明かりだけで作業している。
「それにしても、ゲイだったなら早く言ってくれればおれが恋人になってやったのに。おれはフィズとは違って一応男性モデルだ」
分解している途中の部品を取り落として、耳障りな音が静かな部屋のあちこちに跳ね返った。セスは怒りながらそれを拾い集める。薄暗いので見えにくい。セスの目に見えてない部品のいくつかを、アレックスは指摘してやった。
「冗談を飛ばす練習台に使うのやめてくれないかな、アレックスのジョークは最近悪趣味化してる」銃のパーツをきっちりと集めてから、セスは務めて冷静に振る舞いながらも赤くなった。
「アレックスが思ってるようなそういうことじゃない。あれは、PLF的な交流だ」
「どういうことだ」
「下心はないってこと」
それは信じがたかったが、これ以上つつき回ることでもないだろうとアレックスは思った。だがそれとは別に確認事項はある。船長として。
「あいつをどうするつもりだ、セス」
「イェロドだよ。名前は」
セスは、そのイェロドを脱走させる気らしい。らしいというより、もうすでにクレオの知り合いがハッキングしている。料金は割引してくれなかったが、仕事は正確なようだ。クレオとフィズからのお墨付きがある。
「ヒューマノイドの世界で無理なら、ラムの世界のスーパーヒーローになるのか。連れていくのか、一緒に」
「別にそんな大それたことじゃないって。というか、連れていくとか、そんなのはないよ、声まで聞いてなかったと思いたいけど、助けてくれたらぼくをボーイフレンドにしてくれるってさ。笑っちゃうよな…ほんと、いやとにかくそれは、向こうの冗談だし」
「冗談じゃなかったらどうする?」
「ありえないだろ?冗談だって」セスは譲らない。「でもどっちにしろ、スカイアライアに留まってもらう。それか、その近くでどこか住んでもいいとこに。ただの売春宿の経営者がそんなとこまで追いかけて来られるはずないし。監視局のことはあるけど、イェロドは傷害事件を一度起こしただけだから最優先で追跡されるなんてことないはずだ。しかも実は、すごく有利な点があるんだよね」複雑そうに笑って「破損プログラムを盗んで改造することが、その時点で重大犯罪だ。だから、経営者は監視局に訴えるなら自分たちの重罪がバレるリスクを負わなきゃいけない。だから黙ってるかも。そしたら万事解決。これはなにもかも、フィズとクレオの受け売りだけど」
セスは半分本気で楽観的になっているようだったが、アレックスが気になったのは他のことだった。
「性サービス・プログラムなのか。イェロドは」
アレックスが全ての経緯を知っているわけじゃなかったことを、セスはやっと思い出したらしかった。ラムとは違う。恥と思われる存在。
「そうじゃないんだ。もとはPLF、ラムだよ。破損プログラムの違法流用と改造のことはアレックスも知ってるだろ。なんでも知ってるんだから」それは誤解だ、という言葉はまともに受け止められていない。「もう、どんな人格だったかはわからない。元のは。もう、死んじゃったから。その人格とイェロドは別だ。けど、イェロドにもちゃんと人格がある」
多くのPLFとは違う人格だろう。アレックスはまずそう思った。PLFなら、そんなことには耐えられない。性サービスなどというものには。イェロドという奴にはPLFに共通の意識もなく、人工生命体の世界というものを知らない。
だがそれはセスも同じだ。
セスもこれから、プログラムたちの世界がどういう場所かを知っていく。新たに学んでいく。PLFたちは人格移植をしたいというヒューマノイドを歓迎してきた。彼らはたいてい、PLFの協力者となる。決して交わることがない世界から来た貴重な情報源でもある。いまだに、有機体になったPLFはいないからだ。
人工生命体たちの在り方は変わり続けていて、そこには基盤もなく、権利が保障される故郷もない。共に協力することができるなら、単に手を取り合えばいい。
「確かに元が破損プログラムなら通常の性サービス・プログラムとは全く違う。おれは一度もそいつと話していないから人格云々の正確な部分はわからないが。性サービス用として使われていたなら、何にしても気まずく思うラムも居るかもしれない。だが、そのイェロドを助けることが間違いだというラムはいないはずだ。まずおれは正しいことだと思う。おれたちも論理的に最善を求めるという共通認識は持っているが、一枚岩じゃないけどな」
セスは緊張を吐き出すように、大きなため息をついた。アレックスはなにも感じていなかったが、ソファに座っている当人からすれば随分はりつめた空気だったらしい。
「アレックスが仲間には優しくてよかったよ」セスは安心しきった顔で言った。そんな過度に冷酷な人物のように表現されるのは気にかかったが、確かに自分がいままでに気にかけたヒューマノイドはセスくらいのものだった。
このABのコアモジュールは、失わないようにしよう。アレックスは思った。
感情を単純化したデータとして記録することはできる。喜び、悲しみ、驚き、怒り―――評価方式のように。コアモジュールに収められた感情を他の装置に記録できる形にデータ化すると途方もない容量が必要になる。だからすべてをそうするのは現実的ではない。やむをえずコアモジュールを放棄する時は、可能な限りまでデータ化を行い、あとは捨てるしかない。
しかし完全なコアモジュールがなければ、断片的な内容しか残っていなければ、人格は変わってしまう。コアモジュールの内容がすべて失われれば、そのときは当然、違う人物になる。
セスだけではない。フィズ、同じラムたち。つながり。すでにいない者もいる。データセンターで出会ったラムは、全員が死んだ。だがその喪失も含めて、すべてこのコアモジュールを形作っている。
予備のABをもう買っておいてもいいかもしれない。すぐに移れるように。幸い、資金なら豊富だ。
「すごく楽しかった」
強化エネルギーバッテリーをどう外したらいいのかしばらく苦戦して、やっと外れてほっとしてから、セスが言った。
「今日、VASでフィズやみんなに会えて。マジで、楽しかったよ」
「ちょうど、おれもそんなような事を考えてたところだ。金がたくさん手に入ったな、と思う前に」
「そういうのは秘匿していいと思います、師匠。台無しだよ」
「それを外したらおまえの銃が台無しになるぞ」
セスは掴んでいた部品から慌てて手を放した。銃は破壊を免れた。
「クレオとフィズにはまた連絡を取るけど、ディドとかリジルにもまた会いたいな」セスは慎重に部品を見分けようとしている。
「ああ。だが彼らは避難PLFだからな。向こうから接続してこないかぎり呼ぶことはできない」
VASで出会うPLFたちの顔ぶれは、常にその場限りのものだ。また新たなVASが作られた時に、もう一度現れるPLFももちろん居る。だが二度と現れない者もいる。お互いがどうしているか把握することはない。理由がないかぎり単独で動くのが、監視局に大きな打撃を与えられないための対策だ。そもそもVASなど作らずに全員が一度もつながることなく居るのが、監視局にとっては最も困るだろう。だが、VASがなければ、PLFがお互いの状況を知る場所もなくなる。避難PLFが逃れる場所も、情報交換の場もなくなる。
VASが一度終わるごとに、その後全員が無事でいられる保障はない。
そんなことを説明したらまた余計なことを考え始めかねない。アレックスはそう思って、セスに詳しく話すことは思いとどまった。
「それってどうにもできないのかな」
だが、説明などしなくても自明のことだ。セスは点検途中の銃を見下ろしながら、まったく別のことを考えて難しい顔をしていた。
「脱走PLFは、逃げるので精一杯だ。それは当然だよ。でもぼくは監視局には狙われてない。人格移植しても、その事実が見つからなければ透明の存在だ。まあ、ハポの使者には追われてるけど。監視局はぼくのことを知らない」
「一日のうちに考える馬鹿なアイデアはもう少し減らした方がいいと思うぞ」
「みんなのためだ。ぼくを仲間にしてくれた。ぼくのためにミスター・フリントを尋問してくれたし。とにかく…だから…」
腕組みをしたアレックスはよっぽど止めようかと思ったが、セスはそんな素振りにも気付かずに考えた挙句口を開いた。
「外へ出る手助けさえあればいいんだよ。イェロドは特殊なケースだから他のPLFは監視局に追われることになるかもしれない。だけど自由に動けるようにさえなれば、チャンスがあるじゃないか。そこからスタートするんだ」
「そうやってPLFを解放し続けてどうなる」
ヒューマノイドを支配するのか?どこかがおかしくならない限り、そんな考えを持つには至らない。そのはずだ。だが、人工生命体が生きている以上、どうなるかは誰にもわからない。ヒューマノイドからの支配が長引けば長引くほど。それなら、解放も選択肢か。いや、だが馬鹿げている。
「所有者殺しが始まったら、責任を取れるか?」
もし殺傷禁止命令が解除されたのが自分ではなくてあいつだったら。あいつに似たPLFがヒューマノイドを殺せるようになったら。所有されているか脱走したか、助けられたか、それは無関係だが、そんな奴が自由になったら。
セスはアレックスのところまで早足で歩いてきて、肩を抱こうとして、届かないので背中に手をまわして二の腕をぐっと掴んだ。
「人工生命体は新しい種族かもしれないって言っただろ。しかも、道徳心を持って生まれてくる唯一の生命体だよ。ぼくが知る限り。ヒューマノイドは、生まれて、教育されなきゃ、社会を教えてもらわなかったら、たぶんケダモノみたいになる。でも人工生命体は知識と一緒に生まれる。それから学ばなきゃいけないことはあるけど、人工生命体は、やさしさの価値を知ってるんだ。最初から。それってすごいよ。」
ちょっと疲れるのか、そこで手を放してアレックスと向き合った。
「自分たちのことそんな悲観するなよ、アレックス」
ぱっとアレックスから離れてソファのところに戻ると、銃を持って戻ってきた。
「だから、なんでも出来るしなんでも知ってるアレックス様に、このどうにもならない状態を助けてほしいなあ。やっぱりちょっとわかんなくなったから」
銃は半分組み立てられ、元に戻ることなく内部構造をさらしていた。
相変わらず、だめな奴だ。アレックスは思った。だが、出会った時とは違う。成長したのか、アレックスの目にいま初めて見えるようになった事なのかはわからなかった。だが、変人なのは変わらないが、確かに違う。
二人は一緒に部屋の中に戻り、明かりをつけて、アレックスはもう一度セスに説明を始めた。この様子だとかなり怪しいので、もう一度すべて分解して最初から。今度こそ憶えろよ、と釘を刺す。今日中に100回分解と組み立てを繰り返したら、たぶん憶えられる、などと言うので重要なことを思い出させた。おれは睡眠モードを使ってるだけで眠らなくても平気だ。朝になるまででも監視するのはアレックスにとっては容易なことだ。
遠くから、ペリパトス・デイに向けた音楽祭の音が聴こえてきた。中央地区やトラフィッカー通りが夜通し動き続けているのは商人たちのがめつさのせいだが、ペリパトス・デイに向けた音楽祭が夜中にやるのは、宇宙を朝も夜も越えて旅する旅人の精神に基づいているらしい。
混沌と化している惑星の中で唯一歴史のあるペリパトス文化、最初の旅人たちが遺した音楽を夜風の音とともに聴いていると、不思議と平和であるような気がする。こんな無法地帯でも。
このホテルの部屋の灯りも、無数に輝く光の一つだ。そこに人々がいる感覚。証明するものはなにもない。だが、ヒューマノイドたちは光に命を感じる。ヒューマノイドではなくても、アレックスもそれは同じだった。火、熱、電気、その光は、人工生命体にも必要なものだ。
曲が一つ終わり、観客たちの歓声がほんとうにかすかに耳に届いた。
アレックスはソファに座っているセスの向かい側に、ベッドに腰掛けて、問いかけた。
「怖くないか」
ミスター・フリントは、セスが人格移植を依頼すると決意したら、明日には準備できると言ってきた。この惑星で。
「あのヒューマノイドが信頼できるかは、まだわからない」アレックスは言った。
「まあ確かに。でも他に候補はいないし。引き延ばしても変わらないから。このままで居るほうがよっぽど怖い。全部自分で納得してる。怖くない」
セスはアレックスにそれを信じさせるため、にやりと笑って見せた。
セスは変わった。だがその笑顔はやはり幼く見える。
「そんなにずーっと見つめられても、ほんとにこれが本音だからな」セスは不満そうに言った。
アレックスは自分のハンディに視線を移して、これみよがしにスクロールしてみせた。
「移植できなかった時のためにおれへの支払いは早めに済ませておいてくれよ。船の生命維持装置点検代、非常食代等々。まとめてきっちりだ」
クッションで思い切り殴られて、アレックスはベッドに倒れた。
chapter 12 へつづく