誰かの中の1日目
西村 烏合
chapter 3
「三人?それとも四人で?」
「三人だ。セミヴァーチャルで」
そう言ってアレックスはセスの肩を掴んで自分に引き寄せた。セスは整ったマネキン顔をちらりと見上げたが、合わせてその腰に手を回した。アレックスは見事な作り笑いを浮かべている。
「セミヴァーチャルで。そんなきれいな顔じゃ、外身を脱ぐ必要なんてないものね」
受付係のカルキノス人は、整った顔立ちで笑顔を作る男を面白そうに見ながら言った。暖色の照明の下で、内側から光をあてたように輝いているカルキノス人の目は、見つめる者を特別な空間にいるかのように錯覚させる。ほとんど服を着ていない男性、女性、性別のないヒューマノイドのホログラムがロビーに投影されてさえいなければ、ここが売春宿だとはわからない。
様々な種族のヒューマノイドの姿に移り変わる性的イメージとしてのホログラム。それ以外は、本物の観葉植物と天然石の床が無垢に客を迎えている。カルキノス人は外見的特徴の美しさから、庶民には縁のない恒星間旅行船やホテルに勤務することが多い。こういった場所で見かけるのは珍しい。この売春宿のオーナーはなんでも一流なのが好きなんだろう。 セスは、虹彩も強膜もすべてが透き通ったエメラルドブルーの瞳に見入っていた。このハポ人は実際のところ何歳なのだろうかとアレックスは思った。ハポ人の若者の歳の取り方は人間とほぼ同じだ。惑星間連盟既知種族表によれば。成人はしているように見えたが、ふとした時、ずいぶん子供っぽくも見える。
「では16Dの部屋へどうぞ」
カルキノス人が滑らかな手つきで手渡したカードキーを受け取ると、アレックスはセスの肩を抱いたままリフトのほうへ歩き出した。ロビーのすぐ横にはリフトが六台も用意してあった。それぞれに割り振られた差し込み口にキーを入れると、リフトの扉が開く。乗り込むと、搭乗者に操作を要求することなく、リフトはすでに読み取った情報通りの場所へ動いていった。
「もう離れてもいいんじゃないか」セスはそう言って、ぎこちなく体を動かした。 「いま監視カメラシステムに入ってる。少し待ってろ」
リフトの内装はさながら高級ホテルだった。これから最高の体験を提供いたします、といった慇懃さがある。
「今すぐお前に殺させることはしない」閉鎖空間にアレックスの落ち着き払った声が響いた。「だがすぐに自分の手で引き金を引くことになる。今から人が死ぬところを見てお前が吐いたりやっぱりやめると言っても、おれはお前を殺さない。ターゲットじゃない奴を殺したら死体の処理だとか、面倒だからな。だがおれに迷惑をかけるようなら検討もするだろう。今やめるなら、おれたちは関わらなかったということで済ませていい」
「お気遣いどうも。でも気は変わらない。そんな慎重にやってもらえるなんて、自分の時によっぽど後悔でもあったのか?」
「いいや。だがおれ以外の奴がどうなるかは知らないからな。いざやって、気が狂われても困るだろ」
「いきなりこういう間柄のふりをするのは、問題ない?」
「簡単な依頼かつ適正報酬が支払われるターゲットを狙って、”一対一では物足りない方におすすめできる高級ブロッセル”に行くには今の状況は適していると思うが。どちらにしても、なんでもすると言っただろ」
「もちろん言った。あんたはアンドロイドだ。だから深い意味はないと思っとくよ」
セスは無感情なことを言いつつ、肩に伝わってくる熱を感じながら到着を待った。
3P希望のゲイのふりは、ちょうどリフトから降りたところで終わった。アレックスが今まで同伴者の肩に添えていた手で音もなく銃を抜くと、セスも慌てて同じ動作を繰り返した。フロアの廊下では、チルアウトミュージックのような柔らかい音がムードを作っていた。だが音楽は石材の床を歩く音を消すほどではない。それでも限りなく静かに、素早く進んでいくアレックスのその後ろから、一歩一歩苦労しながらセスはついていった。
「これを使え。ハンドガンはしまっておけ」
セスは通常とは少し違う銃を受け取ってから、疑いの表情を返した。
「ターゲットは生身の恋人と部屋に入ってる」アレックスは構わずに説明を続け、「ぼくたちと同じセミヴァーチャルか」というセスの言葉は無視した。
「おまえはその恋人をこの銃で気絶させろ。撃ち間違えても誰も死なない」
「そりゃ安心だな」
セスは軽口を叩きながら、銃を握りしめ、不必要に何度か握りなおした。それを視界の隅で捉えてから、アレックスはまっすぐドアに視線を戻した。
合図と同時に、アレックスは消音機能付きの銃で発砲した。ドアが、壊れる前の最後の動作として内側へ開く。煙がそこに吸い込まれていくように、アレックスは部屋の中に消えた。投影装置を撃って、感情のない驚きの表情を浮かべている性サービス・プログラムのホログラムを消すと、室内の照明がほんの一時だけ明滅した。パニックになりながらも武器を探そうとしたターゲットの心臓は、照明が元に戻ったときには撃ち抜かれていた。
ホログラムではなかった相手が恐怖の叫び声をあげる前に、セスの衝撃銃の一発がその体をとらえた。恋人はベッドの上に倒れ込んだ。
アレックスが振り返ると、セスはまだ銃を構えたまま、その光景を見ていた。きついピンクの照明に染められた死。不確かで悪趣味な夢の中のような、現実感の欠如と生々しさの衝突。廊下よりも少し室温の高い部屋の中で、セスはその死を見ながらその場に立っていた。ターゲットは体半分ベッドから落ちて、そのまま動かなくなっている。この色彩のなかでは、血もそれほどショッキングなものには見えない。破壊された投影装置が火花を散らす音のほうが、セスを驚かせた。
「こんな風には死にたくないな」セスは乾いた喉で言った。
アレックスは答えずに、ターゲットの首に転送マーカーを撃ち込むと、消えていく死体の横で全裸のままベッドで気絶している恋人の胴体にシーツをかけて、部屋を出た。
セスは賞金稼ぎの後ろ姿を見つめた。だがアレックスは立ち尽くしたままの青年を置いて、さっさと廊下の避難用シャフトを開けて下へと降りはじめた。慌てたセスも急いで後に続いた。血塗れの光景に穏やかに響くチルアウトを遮断するようにセスは重い扉を頭上で閉めた。
「置いて行かなくたっていいだろ」
人の波にのまれそうになりながらの抗議が、アレックスの背中に投げつけられた。売春宿近くの大通り、トラフィッカー通りは、様々な惑星から商人たちの手で集められた珍しい品と、その商人たちの自慢げな笑顔と、それを買おうと躍起になっている客で溢れかえっている。宝石で織ったように輝いている限りなく薄い生地、プリンターではなく一から手作りして細かな細工を施された食器、防音空間を生成できる腕輪型のデバイス、どんな重力下の惑星にも過酷な環境にも対応する宇宙一頑丈なコーヒーマシン(大気圏に投げても壊れない、とある)、明らかに不快なにおいがする美容ジェル、その隣の店にある異臭を消すスプレー。美しいもの、醜悪なもの、怪しいもの、得体の知れないもの、価値あるもの、ガラクタにしか見えないもの、なんでもあった。食べ歩きできるような料理を売っている、長い長い屋台街もある。焼いたり揚げたりする小気味の良い音と香りがあたりにただよう。 惹きつける魅力と多少強引な売り込み、純粋な観光の需要と怪しげな需要、種々雑多な衝動すべてが、宇宙の交差地点の心臓のように脈打っていた。この通りを埋め尽くす混雑は永遠に解消されないのではないか、と思えてくる。
だがアレックスはこの人混みのなかでも勢いをそがれることなく、鉄砲水が谷を流れるかのように進んでいく。セスはもう何度も危うくはぐれそうになっていた。 「置いて行くなって!」やっと手が触れる距離まで来てセスは必死に言った。アレックスが一瞬だけ顔を向ける。
「シャフトのことか」今この時点のことでもあったが、セスは追いつくのに精一杯で息が切れてうまく言えなかった。「やることを終えたらすぐ離れるべきだ」
「報酬にも関係ないのに、意外と紳士なんで感心してた、だけだ。あの、ほら、シーツをかけただろ。生きてる方に。それこそ、そのまま部屋を出て行くと思ってた」
「恋人を目の前で殺したんだ。紳士もなにもないだろ」
「目の前でって、気にしてるのか」
「いいや」
無表情で言ってまた歩き出した背中を追いかけながら、得体の知れない肉の串焼きを鼻先まで近づけられ、セスは胃がおかしくなりそうになった。
「人を撃ったら、なにか感じるのか?」
この質問には正直飽き飽きしていたが、アレックスはいつも通り答えた。
「なにも感じない。罪悪感も喜びもない」
「一度も感じたことないのか?感情は、あるんだろ。というか、”オン”にしてるんだろ。そうじゃなきゃ、あんな迷惑そうな顔しないはずだよな」
「感情機能は備わってる」当てつけは無視して答えた。「ここ最近切っていたことはない。おれは基本的に感情は切らない。切っていたら、参考にならないからな」 「参考?」
アレックスは一瞥だけでその質問には答えないということを示した。それは伝わったようだったが、セスは全面的には引き下がらなかった。
「最初にその…引き金を引いたとき、どんなだった?」
そこでホバーバイクを停めた駐車場に到着していることに気付き、セスはあたりを見回した。売春宿へ向かった時とはまったく違うルートだった。
「どんなだったかは、今度おまえが教えてくれ」そう言ってアレックスは自分のホバーバイクにまたがった。「それより死体を見たことについて正確に知っておきたい。大丈夫か、それともトラウマになったか」
「大丈夫さ、無問題だね」セスもエンジンをかけて、真新しいハンドルを握った。今の言葉の信用性のなさとともに、不満がバイクの扱いに表れていた。周囲に馴染む見た目なのが第一ということは理解しているようだが、せっかく戦利品として手に入れたエンパイアピザのバイクを強制的に廃棄させられて、ずいぶん落ち込んでいた。
「とりあえず一回目は合格かな」その結果で気分を晴らそうとでもいうようにセスは言った。
「おまえが一人でターゲットを殺せたら、それでいい」
メロウエスケープ・ホテルに帰ってから、セスは部屋に一つだけあるデスクに座ってパイロットシミュレーターに没頭していた。星環レースの正式コースをシミュレートできる。星環レースは広い宇宙の惑星上や宇宙空間を問わない一流サーキットを転戦する。その有名なレースの新人パイロット発掘も兼ねて発表されたゲームであることが、このシミュレーターの最大の特徴だ。部屋の投影装置を使っていたので、セスが急カーブのコーナリングをする様子がアレックスにも見えた。操作は慣れているらしい。だがこのシミュレーターからレーステストの権利を得られるのは、全宇宙ランキング100位以内のユーザーだけだ。投影されている結果は100位には程遠かった。
ピークに達してその後数回連続で低いスコアを記録し続けた後で、セスは突然シミュレーターをやめて毛布を掴むと、デスクを離れて寝床のソファに飛び乗った。寝転ぶのかと思ったが、座ったまま半袖のシャツの袖を片方をまくる。そこに黒いテープのようなものが巻かれていた。だがよく見ると、薄いがなにかの機械だ。パネルに数字を打ち込むとかすかな作動音がした。
「ターゲットを狙ってる時に心臓発作で倒れたりしないだろうな?」アレックスは聞いた。「なんの薬だ」
「ただの抗生物質。ハポ人は汚染された空気への耐性が低いんだ。馬鹿げてるけど、病気になって病院行きになったら終わりだろ。えーとこの患者のIDは…そんなふうに調べられたらアウトだ」
「他の種族が平気で歩いているところを宇宙服で動き回ってる奴らもいる。何に耐性があるかはそれぞれだ」
「それもそうか」ドライな調子で言う。「じゃあまた明日、アレックス」
さっさと会話を切り上げてしまうと、ハポ人はソファに倒れこんで静かに目をつぶった。アレックスも、電気を暗くしてベッドに横になった。随分唐突だったが、すぐに眠ったようだから問題ないか。そう思った。それでもしばらくアレックスは睡眠モードに移行せずにいた。
真夜中、ソファの上の影は何度も寝返りをうっていた。
少なくとも、今日の依頼は問題なくこなすことが出来た。もっと褒めるべきだったのだろうか。アレックスはそう考えて、すぐにバカらしくなった。自分は未来の賞金稼ぎの発掘係ではない。スポンサーでもないし、育成係でもない。ただの一時的なパートナーにすぎない。
外の景色。
くすんだ薄緑色の壁。
医薬品。フォースフィールドが作動している。
「アレックス」
声が呼ぶ。
警官の死体。監視局に好き勝手動かれるのは気に食わない。この惑星ではおれたちが法を行使する。あいつらが隠れて動くならこっちにもやり方がある。まあ、プログラム生命体とかいうやつらは、金になるらしい。
また傷つけられるのは嫌だった。もう、壊されるのは嫌だった。このABはどこかの誰かのために作られたなんのつながりもないものだ。でも、もう嫌だ。
「どうやったんだ?」
わからない。
「命令解除の方法がわかれば、おれもヒューマノイドを殺せる。所有者を全員殺すことだってできる」
でも、それで?
「ヒューマノイドを殺せるのはお前の才能だ」
でも、それで?
それから数日もしないうちに、セスは実際に引き金を引いた。
トンネルの中の照明が明滅するパターンとなって通り過ぎていくなかを、アレックスとセスはホバーバイクで通り抜けていた。オレンジ色の光が瞬きながら視界の左右を流れ去る。セスはヘルメットの中から、左にある車の車内を覗いた。出発する前にアレックスがヘルメットに取りつけたスキャン装置を起動すると、スキャンビームが車の外殻を通り抜けて照射された。中に乗っている人の輪郭が、赤外線で捉えたサーモグラフィ映像となってヘルメットのスクリーンに映し出された。運転手と後部座席の一人だけ体温の高さが違う。
「ターゲットは最後部座席の真ん中に座ってる。周りにいるのは三人」
セスは映し出された映像の情報をアレックスのヘルメットに送信した。それとほぼ同時にアレックスのホバーバイクがセスを追い抜いた。正確に狙いを付けられた銃弾が一発、車のリアガラスの中心を突き抜けた。その後に続いて転送マーカーが撃ち込まれる。
トンネル内を走行するいくつもの車の音や自分の走行音で、声は聞こえなかったが、送信されてきている赤や緑や青の影絵のような断片的な映像のなかで、車内の人々が騒ぎ立てる様子がわかった。
また置いていかれないうちにセスはスキャン装置を切って、アレックスの後を追いかけた。
軌道エレベーター付近までのトンネルを抜けて、すでに見慣れた中心街の混沌へ飛び出してしばらく飛行してから、アレックスは入り組んだ市場に近づいて三階建ての建物の屋上に停車した。すぐ後に続いて降下し、ホバーバイクから降りたセスは、アンドロイドの視線の先を見た。
日差しを遮るもののない屋上は焼けるように暑い。日射に耐えながら建物の屋上から下を見下ろすと、路地の影の中にヒューマノイドが二人倒れている。そのすぐそばに立っているヒューマノイドは、倒れているのとは種族が違う。ハンディに向かって怒鳴っている。
「死んだのか?」ハンディを握りつぶしそうな勢いで言うと、そいつは翻訳不可能な悪態をついて、倒れているヒューマノイドに蹴りを入れた。
「傷がつきますよ」路地の暗がりから、通話している奴と似た外見のがもう一人出てきて忠告した。
「それどころじゃない。ディカミトが死んだ」
カプスルーラのディカミト・ルシー。共通通貨で1300スリップ。実際に顔を見ることはなかった。サーモグラフィーとしてしか。だが依頼データの写真で見た。路地に居る二人は、その写真と同じ外見的特徴をしている。路地の薄暗い中でもよく目立つ、首回りの羽毛のような毛が逆立っている。たぶん怒りや緊張のせいだろう。カプスルーラの一団はこの種族のみで構成される。ディカミト、そしてこの二人、全員メンバーだ。倒れているヒューマノイドは商品で間違いない。
「セス、銃を出せ」抑えた音量だったが突然喋ったアレックスの声に驚きながら、セスは従った。
「ハンディで話してる奴に狙いをつけろ」銃を握るハポ人の手にアレックスの手がそえられ、まっすぐ標的に向けられた。
セスはなにか言葉を求めるようにアレックスを見た。だがアンドロイドの目は標的だけに据えられている。はっきりと聞こえてはいるが内容が入って来ない声が、下から響いてくる。上からは、まぶしい日差しが二人を溶かして消し去りそうなほど照りつける。だが日差しの角度からして、相手に二人の影は見えていない。セスは涼しそうな影の中を苛立った様子で歩き回っている標的を見下ろした。だんだんと怒鳴り声が落ち着き、なにかの算段がつきそうな雰囲気だ。標的は足を止めた。 「わかった。とにかく誰も帰すな」
標的はそう言うと、ハンディを切ろうと顔から離した。セスは自分の肩にアレックスの手が触れるのを感じた。
低く空気を切る音が走った後、次には鈍い音がして標的は路地の壁に頭をぶつけた。アレックスはさっきセスに使わせた衝撃銃で仲間を仕留めた。二体目の体が、路地のゴミが散乱した地面に倒れた。
一方は倒れただけだ。もう一方の体の下には、青い液体が流れ出す。
セスは広がっていく血をじっと見下ろした。青い血だまりのすぐ横では、倒れていたヒューマノイドが朦朧とした意識のなかで、照りつける陽光に挑むように上を見上げた。
アレックスがその場から転送マーカーを撃ち込もうとしている横で、セスは排気設備に足をかけながら路地に降りた。なにも言葉を発さないまま倒れていたヒューマノイドの拘束を解くと、気絶しているカプスルーラから奪ったハンディで救急車を呼ぶ。
「早く来い」
アレックスが屋上から呼びかけた。怒鳴るわけでも逆上した様子でもない断固とした声が、薄汚い路地に反響する。倒れていたヒューマノイドは起き上がれないまま、目の前にいるセスをぼんやりと見ている。二人とも外傷があちこちにあるが、見た目には重傷なものはなさそうだ。意識が混濁しているのは薬物かなにかのせいかもしれない。二人を見つめるセスの背後で、死体が転送されていった。セスはその光の輝きを視界の端でとらえるだけにして、気絶しているだけのカプスルーラのほうへ、銃を向けかけた。それをアレックスの声が止めた。
「数時間は目を覚ますことはない。それにもうすぐそこに来てるぞ」
救急車のサイレンが確かにセスの耳にも届いた。一方怪我をしたヒューマノイドはそのけたたましい音にさえ気付いているのかもわからない。何も抵抗することはできない状態。商品として運ばれるはずだったのだから当然だ。自分が助かるかもしれない可能性にさえ、気付けない。
その光景に麻痺しているセスの意識と体を、仕方なく路地に降りてきたアレックスの手が引っ張った。
「待ってくれ」慌てて誘導を拒んだセスは、すぐそばにあったどこかの通用口の鍵を撃って破壊した。それから、衝撃銃で気絶しているカプスルーラの足を持ち上げた。
ハポ人の体に対して二倍はある質量を、一人で引きずらせてそれを待つ時間など当然なかった。アレックスがほとんどの重さを担って脱力した体を油臭い暗がりの中へ投げ込むと、セスはやっとアレックスについていくことに従った。
救急車のサイレンが路地に降り注いだとき、二人は浮遊車両の連なりの中に逃れていた。
最初からすべてが上手くいくことは、ほぼ有り得ない。アレックス自身としても、二人で行動すること自体、経験がない。
だがすでに問題が多すぎた。それに、あと2人分程度でこちらの求める金額を満たし、このハポ人を同行させても問題ないような、最善のターゲットたちを選ぶ作業がある。低すぎたり標準程度の報酬のターゲットだけ狙っていたら、安全にこの惑星から出る前に、誰かに連行されて出ることになるだろう。本当にハポの政府かどうかは知らないが、実際にこのハポ人が追われているなら。アレックス自身も、監視局が喜ぶような物理と仮想両方の痕跡を一ヶ所に積み重ねたくはない。
アレックスは安っぽいダイナーの硬い丸椅子に座りなおしながら、表示される依頼をスクロールしてチェックしていった。楽な作業ではないことを理解しながら、人工飲料で満たされたボトルを口に運んだ。人工生命体の従業員が居るようには見えなかったので予測はしていたが、ここのは殺菌剤が多すぎる。ABメンテナンス用の清掃溶液を口から摂取したら、こんな味かもしれない。
そのアレックスの向かいに座り、注文した気味の悪い色のソーダ飲料の中で氷が溶けるままにして、セスは一つの情報を見続けていた。師匠が苦労して情報を探していることなど無視だ。
最初に殺したターゲットは誰だったか?他の賞金稼ぎと話をするとこれが必ず話題にあがる。アレックスも当然覚えてはいる。だが、そのターゲットが最初だったというだけで、選び抜いてそうしたわけでも、恨みがあったわけでもない。それでも、セスのような明確に不慣れな奴が言うならまだ理解できる。だが彼らはほとんどが、最初のターゲットが最初の殺人だったことなどない。賞金稼ぎとしての最初の報酬を手にしたことが嬉しくて憶えているような節がある。
「どのターゲットを選ぶかも勉強のうちだ。選んでみろ。テストだ」
アレックスはもうすでに片付いた依頼が表示されているタブレットを強制的に脇にどけて、死を望まれる様々な顔の羅列を目の前に差し出した。
「カプスルーラの仲間はもういないのかな」セスは虚ろな目で、羅列にぼんやりと焦点を合わせたまま言った。
「もう二人殺しただろ」
「あれで終わりでいいのか?」
「人身売買集団を壊滅させるのは賞金稼ぎの仕事じゃない。わざわざ言うことでもないが」
「一番上の奴を何人か仕留めれば少しは活動を妨害できるじゃないか」
そう言ってセスはアレックスの手から、依頼リストの表示されたタブレットを奪った。奪ってから、自分を落ち着かせるための溜息のようなものをついた。
「冗談だよ。ぼくたちには関係ない、そんなことをしても意味ない。当然だ。もしカプスルーラの奴らがまだいるなら、選びたかっただけだ」
「いたとしても選ばないほうがいい。ああいった奴らが死ぬのも、殺されるのも、なんだろうがよくあることだ。やったのは敵対者かもしれないし、おれたちみたいな奴らかもしれない。それは目撃者がいないかぎりわからない。だが特定のターゲットに入れ込み過ぎると、当然そのうち誰かが気付く」
「じゃあ別の、本当のターゲットを狙おう」
セスはアレックスが表示していたリストを切り替え、お尋ね者のページを開いて見せた。
「こいつらを殺すのが賞金稼ぎだろ。個人的な恨みだとかで依頼の出された奴を、誰彼構わず殺すんじゃなくて」
「昔はそうだったんだろうな。でも今現在そんなことをするのは、政府からライセンスを発行されてる賞金稼ぎだけだ。全体の1割にも満たないだろうな。賞金稼ぎたちの統計データなど出てないから、おれの会った中での計算だが」
マーケットに行けば周りは賞金稼ぎだらけだ。同業者に会う機会ならいくらでもある。だがアレックスは、ライセンスを持った奴には二回しか会ったことがなかった。他の同業者とは違うエネルギーを感じさせる若い奴と、疲れ果てた顔をした将校になれない兵士のような奴。ライセンス付き賞金稼ぎのスタートラインとその終わり。つぐないを求める追跡が、追う者を変えるだけで一生終わらないとしたら、気力をなくすのも無理はない。
「ライセンス制度を採用している政府や種族は少ない。危険な相手を単独で追わせるために船や資金の用意、家族への補償も設定する必要があるし、公式に認めて宇宙で活動させるのはいろいろとリスクがある。それでも、罪の重さからしてどうしても追う必要があるから、ライセンス制度はまだ消滅してないんだ。依頼する方もリスクを負わないと誰も近付かないような奴らがお尋ね者だ。惑星上だけに限らない、近隣の宇宙域全域で指名手配されてる連中だからな。簡単には殺せない。ライセンスもなしに、わざわざお尋ね者だけを狙ってる賞金稼ぎには今まで会ったことがない」
セスはすぐに隠したが、不満そうな眼差しが一瞬アレックスを捉えた。
「だとしてもお尋ね者を仕留めればかなりの額の報酬が手に入る」
冷静さを取り戻していると主張するように、セスは落ち着き払ってそう言った。かなりの額どころではない。通常の依頼や並みの犯罪者に比べれば破格の金額が支払われる。だがアレックスは弟子の手から、リストの表示されたタブレットを取り戻した。「死んだ奴の口座にはなにも振り込まれない」
「あんたなら出来ないことはなさそうだ」
「ソーダが薄まってるぞ」
目の前にソーダのグラスを押しやると、セスはストローを取って一気に飲み始めた。小さくいびつな形になりつつある氷が、抵抗することもできずに口の中に流れ込んでいく。飲み終えた時の顔は、吐きそうだとしか表現できなかった。だがセスは荒く深呼吸して、もう見たくもないという素振りでグラスをテーブルの端にどけて、なんとかこらえた。
アレックスは自分のボトルもテーブルの端にやり、問いかけた。
「おれたちには関係ない。本当にそれをわかってるか?」
ハポ人は一瞬考えてから同意するように、だが曖昧に頷き返してきた。
「ああ。悪人はいなくならないから」
「おれたちもその悪人の一人だ。お互いに。たまに大勢から嫌われる悪党を殺すとしても、それは変わらない。救急車を呼んでもなにも変わらないんだ」
突発的にやったことだとしても、曖昧に放置はできない。冷静に自分がなにをしたか認識して、ただでさえ常に高い危険のリスクを更に高めたことを理解できればいい。だがすべては数時間前に起こったことだ。
「目の前にただ手助けできることがあったから、やっただけだ」セスは言った。
案の定、なにも理解していない。まだ困惑の中にいる。だが、アレックスは初めてのことだからなどといって済ませる気はなかった。そんなことは何の結果ももたらさない。
「彼らが無事病院に運ばれたとしても、助かったかどうかはわからない。誘拐された時点でIDは削除されてる可能性が高い。彼らには帰る場所がないし、金もない。深刻なダメージを負っていて、もう死んだかもしれない」
アレックスはセスの右手を握って、手の平を上に向け、その上に置いたハンディに表示された金額を見せた。
「今回の報酬の50%だ。依頼を受けて、完遂することだけを考えろ。金のためにおまえは人を殺したんだ、セス。これからもそうするつもりならそれを忘れるな。それに集中するんだ。悪党を減らすためでも、誰かを救うためでもない。自分を救うためだ。中途半端な行動は自分の命を危険にさらすだけだ。だからやめろ」
セスは金額の表示されたハンディを握りしめて、見つめた。
引き金を引いた手を。
chapter 4 につづく