First Day Inside Someone Else ch.9

誰かの中の1日目

西村 烏合

 

chapter 9


セス・サンダーソンのIDは、あと数時間で出来上がる。
あの感じだとかなり料金を上乗せしてきそうだった偽造屋を適切な程度脅して、適切な料金を提示させてからIDを受け取ったら、晴れて軌道上の宇宙港まで行ける。アレックスの船は5人から10人以下用に設計された長距離恒星間宇宙船で、型は新しいとはいえないが堅牢で不具合の少ない船だ。なにもない宇宙空間で遭難した時のための緊急時対策も整っている。シャトルが一機、独立した動力源を持つ救助要請ビーコン発射装置も一機あるし、保存食も充分備蓄されている。種類も豊富だ。酸素生成装置と水のろ過システムもある。
 だが、いわずもがなアレックスには、ほとんど必要ないものだった。そのために点検は最低限のことしかしておらず、酸素生成装置は生成用素材の劣化が激しくて使い物にならない。保存食も保存できる年数をとっくに過ぎている。なにかあれば、アレックスは生き残るだろう。だが食料も水もなく、空気もない船でセスは生きていられない。アレックスは朝から宇宙港のメカニックたちに、完全な点検と劣化しているものの全交換を頼んでいた。この費用は後でセスに払わせることにしよう。
 宇宙船の点検は、ピジアも手伝ってくれていた。有料だが。これが最後になるのは残念だ、と言うので、今からでも船に乗ってくれて構わない、ちょうどヒューマノイドにも適した船になる予定だからと誘った。
「悲しい思いをさせて悪いけど、代わりに私の等身大ホロイメージでも設置しといてあげるから。いつでも思い出していいよ」
 修理人の冗談を理解できる日は来るのだろうか。ピジアなら本当にやりそうでもある。冗談あるいは事実の可能性が五分五分でどう判断するべきかわからない。ピジアが確実にやってくれる事は、投影装置の点検と、いまのABを修理するために必要なすべての部品を医療室に確保することだ。医療室はすでにAB修理に使えるように改造してある。幸い医療用テーブルは2台あって、修理用に改造したのは1台だけだ。もう1台はそのまま使える。
 ピジアには断られたが、今までほどに落胆はなかった。今は、ほかに同乗者なく、セスとの旅をしてみることが最適だと思えた。
 アレックスはそう思いながら、青に染まったセスの髪の具合を見た。根元まできれいに染まっている。網膜スキャン対策用のコンタクトレンズもすでに装着済みだ。
「青い体毛の種族はたいてい皮膚の色も毛色に近い。変装にはならないが本当にいいのか」
「別になにかの種族になろうとしてないって。パッと見てハポ人だとわからなければ」
 アレックスは僅かに頷いて、クローゼットの中になにも残っていないか確認をはじめた。IDが出来上がればすぐに出発できる。セスはスーツケースの上に座ってタブレットを見ている。だがさっきからずっと同じページから動いていない。顔はそこに向けているが、意識は違うことに向けられているらしい。突然思い出したようにまたページをスクロールしていくが、あまり集中できないらしかった。
 アレックスは空のクローゼットの扉を閉めた。
「次に行くのはキャラバン・プラネットじゃないぞ。スカイアライアだ。スカイア星系の第四惑星で、首都のマラサにある広大な港が有名だ。美しい都市らしい」
 曖昧な返事をしながらも、セスはタブレットでスカイアライアを検索した。その景色が、宙に浮いていたセスの意識をひきつけたことは、傍から見ていてもわかった。
 終端が粒のようになって見えないほど遠くまで広がる港。そのそばに巨大な都市が築かれている。浅瀬から沖へ鮮やかな階調変化を見せる青を湛えた海、抜けるような青空、その自然の美しさと調和する街並み、豊かな緑。スカイア人が”楽園”と呼んでいる都市だ。
 スカイア人の概念における楽園は絶対的中立地帯という意味であり、決して争いを起こしてはいけない土地のことだが、その景観は太陽系文明の出身者が想像する楽園にも近いものがある。
「すごい、としか言いようがないんだけど……」セスは茫然としたように言った。「港町なら見たことあるよ、地球にもものすごくきれいな港町がたくさんあるけど、こんな巨大なのは無い」アレックスは夢中でタブレットをスクロールするセスの横のソファに座って、武器の手入れを始めた。「うわ!この剣かっこいいな。金属製武器の誇りか、武器製造の歴史がこんなに長いんだ。いいなあ」
 セスは武器の手入れに集中している顔をのぞきこんだ。「アレックスがまた買ってくれないかな」アレックスはこれを無視した。セスが、えっ、と疑念の声をあげたが、アレックスに対するものではなかった。
「火力及びいかなるエネルギー武器も持ち込み禁止って…」
「スカイアライア全体で禁止されてる」
「それって休暇旅行でもするってこと?」
「スカイアライアは観光地、保養地として宇宙の資産家からも高い評価を受けてるが、エネルギー武器が禁止されてるおかげで賞金稼ぎからは敬遠されてる。わざわざそんなところに行かなくても他で仕事をすればいい。だが、賞金稼ぎの少なさを知っていて、良い標的がバカンスを楽しんでいるかもしれない。過去にもそういったターゲットがスカイアライアで仕留められたらしい記録はある。スカイア星系の報道記録を50年分ほど調べたが。そこを狙おうと思ってな」
 アレックスの手には、いつの間にかさっきまで手入れしていた銃ではなく、コンバットナイフが握られている。
「お前もカーヴィングナイフを持ってただろ」
「暗殺者気分に浸れるってこと?それ、すごく興味あるな」
 と言いつつ、ホルスターの銃に触れた。
「でも、この銃はまだ、パワーを発揮できてないよ。もっと使うのに慣れて、腕を上げなくちゃならない。迷いなく撃てるように」
 ホルスターから銃を抜いて構えて見せるセスに、師匠然とした顔でアレックスは頷いて見せた。
「スカイアライアまでは少しかかる。最低でも一度はスペースステーションに寄るから、そこで保安局と交渉してみるか?」
 アレックスは転送マーカー用の銃を取り出した。
「これを見れば誰でも所持者が賞金稼ぎだとわかる。保安局員だったら当然。そこで身分を明かしたところで、治安を乱したり面倒事を起こしてる奴はいないか尋ねる。頼まれたらそいつを排除する。スペースステーションの保安局はたいてい一番近い星系の政府が管理しているが、その政府が惑星間連盟に加盟していれば、非常事態でないかぎりステーション内での保安局員による発砲は禁止されてる。だが発砲できない保安局員を軽視する奴らによる問題は、常に起こってる」
「ぼくが通ったスペースステーションでもそんな感じだった。治安が良いとこもあったけど。そのグレーの部分をカバーするのか」
「スペースステーションは大勢の様々な種族が利用するがどこも決して広くない。その中で、悪党を見つけて処分する。索敵訓練みたいなものだ。初心者の第一歩目用のな」
「じゃあぼくはそれを先にやらないで、ズルして無理矢理飛び級したってことだな」
「だから試してみろ」
 はい、師匠、と返事だけは良い。そのセスの方へ、別の銃を差し出した。
「ステーションで使う事はないかもしれないが、これは返しておく」
 最初にセスから取り上げた電磁パルス銃を手渡した。ずっと武器専用のケースに入れてロックしてあったが、もうその必要はない。
「小型爆弾って持ってない?」
「なに?」アレックスは流れを無視する言葉に、思わず聞き返した。
「小さくて、粘着でつけられて威力があるやつ。持ってたら一個もらえると助かる」
 メロウエスケープ・ホテル近くの空中で、小型爆弾が爆発した。一緒に電磁パルス銃の内部機構も爆発して、盛大な火花が散った。その爆発音を追いかけるように、どこかから発砲音が響いた。ペリパトス・デイおめでとう!上の階のベランダから、呂律のまわってない声がそう言った。ペリパトス・デイは二か月先だ。
「役立ちそうな銃だったが」アレックスは窓の外に漂う煙を見ながら言った。
「パワードスーツの兵士と戦う機会もなさそうだし。ハポでは警備ロボットが多いから、出て行く時はなんとなく必要じゃないかって思っちゃったけど。実際の用途は暴走したアンドロイドの無力化とかだ。感じ悪い銃だから要らないよ」
 アレックスはセスの肩を叩いた。セスは自分に怒りを感じているらしい。
「使えるものはなんでも使うくらいじゃないと、宇宙では生きていけないぞ」怒りを緩和するためにそう言ってやった。
「うるさいな。ぼくは自分が満足するようにやる。まあ、師匠に怒られない範囲で。今回はもともとぼくの、正確にはぼくが盗んだ銃なんだからどうしようと勝手だ」
「ありがとう」
 自分が耳にした言葉が信じられずにかたまっているセスを置いてベランダから部屋に戻ると、アレックスは部屋に備え付けられているヴァーチャル・ウォーク用のヘッドセットを取り出して、ベッドに置いた。自分用には変換ケーブルを用意する。ケーブルは常に持ち歩いている自前のものだ。ホテルのものを使ったら、ここに人格移送違反の脱走PLFがいました、と署名していくようなものだ。
「IDが出来るまでVASに行ってみるか?セス」
 さっきの驚きをひきずりながらも、好奇心の方が上回り、セスはベッドの上に身を乗り出してきた。
「VASって?」
 考え込んでいる頭にヘッドセットを装着し、横になるように言ってから、アレックスは自分も首にケーブルをつないだ。
「ゲームかなんか?」セスはベッドから、立ったままのアレックスを見上げて尋ねた。
「ネットワークの中にあるPLFの避難所だ」
 アレックスはヴァーチャル・ウォークのスイッチを入れた。
 急に重力の方向が変わった。セスは力を入れる方向がわからなくなってぐらついた体のバランスを保とうとして倒れそうになり、後ろに居た人とぶつかった。
「すみません」振り返って反射的に言う。
「大丈夫」そう答えた人物は青い髪に見入った。「うわぁ、かっこいい髪の色だね」
「じゃあ今度それで投影させてあげる。人気出るかもよ」
「そういう意味じゃないって!ぼくがやるわけじゃ…」
「ほんと?」
 二人組は言い合いながら立ち去った。二人とも凝ったリアルな髑髏の絵柄が入ったTシャツを着ていた。
 セスは最初に自分が見た景色のほうへ顔を向けた。
 目の前にあるのは、都市の広場にあるカフェの景色だった。よくあるヴァーチャルカフェの光景に見えた。人々がテーブルに座り、話している。だがビル群の間を走る警察車両のサイレンの音や、遠くに見える人波、渋滞するホバーカー、地上、空中問わず作業中の工事現場、作業員の声、ふつうは排除されているものや騒音があちこちにあった。こういった細かい描写は余計なメモリーを使うことになるし、なにより現実空間の煩わしさをわざわざ持ち込む必要はない。通常はこんなもの無いはずだ。
 カフェに居る人々も、よく見るとヒューマノイド、特に人間に近い見た目の種族ばかりだ。どれも人工生命体を利用している種族だ。
 セスは隣に居るアレックスの顔を見て、その時になってやっと、アレックスがすぐ隣に居たことに気付いた。あの完璧なマネキンのような姿ではなく、もとの姿で。
「ここに居るのは全部PLF…ラムってこと?」
「そうだ。VASは非合法な空間だから監視局に見つかれば壊されるが、すぐまた別の場所にできる」
 アレックスもその景色を眺めて、感慨深い顔をした。VASに来たのはとても久しぶりだった。
「データとして格納されているのはとても、負担がかかる。特に格納されている間の行動空間が設定されていないと。行動空間というのは自分の部屋みたいなものだ。時間の経過を認識できるし、少なくとも自由に考えることだけはできる。完全に格納されている間は意識はない。突然接続され、切断され、接続…その間の時間の消失や場所の変化、接続と投影をされたとしてもヒューマノイドのサポートをするだけの時間があるだけ。所有者と良い関係を築けていて、ケアされていれば接続も切断もそれほど苦痛じゃないが、それも限度がある。VASはそういうことから逃れるための場所だ」
 初めて耳にし、初めて目にする場所に、セスは立ち尽くしたまま見惚れていた。ちゃんと聞いているかどうか、咳払いをしつつアレックスは続けた。
「脱走PLFにとっては、ほとんどの時間を過ごす場所といっていい。入るABがなければ、家がないのと同じだからな。脱走した身で、ネットワーク上で一つの場所に留まるのは現実的じゃない。だからVASを渡り歩く」
 アレックスとセスがつないだVASは、ヴァーチャル空間でネット上のユーザーと交流できるヴァーチャルカフェシステムの中に構築されたものだった。VASは大抵の場合こうして、ヴァーチャルサービスを提供する会社のサーバーの隙間に構築される。そのため風景や小物などはその会社のものを基本的には流用するが、実際のサービスで提供されているものより、現実の世界に近づけて作られる。あまりにも完璧で余計なものが一切なく、快適さを追求した空間は、行動空間と似ていて息苦しく感じられるためだ。
 投影されることがPLFにとっては最も慣れ親しんだ開放的な状態だが、脱走PLFにとって投影はリスクが高い。ABに入れば、行ける場所の制限もなく、限りなく自由だ。だがABを手に入れて違法転送することは簡単ではない。違法転送という罪を追加されることにもなる。知っている顔ではなく、どこかのPLFのために作られた顔を常に鏡で見ることになる。
 だからせめてこうしたヴァーチャル空間で自分の姿を再現し、保つことで、自由を感じている。
 セスのまわりに、あちこちに、そうして束の間羽を伸ばしているPLFたちが居た。
「いくらでも広く見せることはできるが、限定的な空間であることに変わりはない。だがささやかな、自由の国だ。自分で考え、決定し、好きな場所に行って――基本のスペースに追加して違う場所を再現することもできる。サーバーを圧迫しないかぎりはな――、好きなように過ごせる」
 そう言って、アレックスは自分の着ているシャツの襟を正した。すると魔法のように、シャツとスラックスはTRAPPIST-1系のムセイオンの学者たちが着る制服に変わった。
「自分の姿でいられるし、好きな服を着られる」
 アレックスは近くのビルの店のショーウィンドウで、自分の服装を確認した。
 セスはその横に立っている自分の姿を覗き込んだ。
 髪は青のまま。背丈も顔立ちもそっくりそのまま、だが服装は、白いTシャツに黒で細身のズボン。青い革のブーツ。それだけを身に着けた若い男の姿が映っていた。いつも着ているジャケットはない。
 アレックスはセスの肩にそっと触れた。
「服は他のものにいくらでも変えられるが、似合ってるぞ。あんまり暑そうじゃなくてな」
 セスは少しだけ笑ってから、武器を握ることになど全く縁がないように見える、穏やかな眼差しの人物を、アレックスを、正面から強く抱きしめた。
 お互いに体を離すとアレックスは言った。「向こうでフィズが待ってる。他のラムたちにも挨拶してくれ」
 二人は、PLFたちが飲み物を注文しているカウンターに近付いた。駅の売店を拡張したような作りで、屋外用の屋根は溶けた銀のように輝いている。
 フィズは、カフェの端から端まで続く大きなカウンターの隅で、火器・エネルギー武器マガジンを読んでいた。
「あいつは、スカイアライアでは生き延びられないだろうな」アレックスが言う。
「間違いないね。残念だな、あんな気持ちよさそうなとこなのに」
 相変わらず胡散臭い武器商人のような格好だが、今回はこの前とはまた違う服で、チュニックにズボンをはいて、金と革で作られた腕輪を鬱陶しくないのかと思うほどあしらったバージョンだ。その腕輪を鳴らしてマガジンを勢いよく閉じると、フィズは顔をあげた。
「おい、なにか言ってたな今?私のことを言ってたんじゃないか。あまり良い事に聞こえなかったが?」
「なにも言っていない」アレックスが真面目腐った顔で言う。
「こいつの影響を受けないように注意してくれよ、セス。性格が悪いからな」憂うような顔をしながら、カウンターに居るPLFから飲み物を受け取って、すぐ口に運んだ。グラスをカウンターに置きながら、アレックスに攻撃的に一瞥を投げる。だがすぐ攻撃はとりやめて二人をじっくり眺めると、フィズは自分で納得するように頷いた。
「晴れてPLFの師匠とヒューマノイドの弟子の誕生か。話したんだな、アレックス。おれは馬鹿丁寧なアンディじゃないんだって?」
「アレックスも知ってる。つまり、ぼくの事」セスが言った。
「そうか」
 フィズは珍しく感傷的な顔をしていた。あのホテルの部屋では何も疑わなかったが、デソルモクでセスが重傷を負ってフィズが治療にあたった時、いくら完全な医療サポート技能を持っていなくても手を貸してほしい部分はあったはずだ。それでも劇場の部屋から完全に遮断された時に、アレックスは少し気になっていた。セスの状況がわかってみると、フィズがセスを守っていたことは明確だった。今まで本人に確認する機会がなかったが。
「おまえにまともな人間性が残ってるとわかって安心したよ。最近、心配してたんだ」アレックスは言った。
「賞金稼ぎに言われたくないな。こっちには契約もあるし、私は取引に関してはとてもシビアなんだ」
「金を払って口止めしてたのか?」アレックスはセスに尋ねた。
「医療契約しかしてないよ。治療する時も、あんな粗末な設備でも服を脱がないで治療できるように苦労してやってくれた。だから、初対面の懸念はすぐ吹き飛んだ。胡散臭くないし、ほんとはいい奴じゃん!って、すぐわかったよ」
「もうお前のまともさについて心配するのはやめる」アレックスは感心していることを目一杯表した。
「やめろ。二人とも、対装甲車擲弾で木っ端みじんにされたくなかったらやめろ」
 じっくり苦しめないだけ慈悲深いね、ちゃんと2発使ってくれるのか?というセスの言葉に、顔見知りだからそれだけの敬意は払ってやるよ、とフィズ。
 ヒューマノイド嫌いのフィズがなぜ会ったばかりのセスに協力的な態度を取ったのか、アレックスは疑問だった。だが、単に気が合っただけなのかもしれない。
 そのフィズの肩に、遠慮がちな手が触れた。
「あのフィズさん、射撃場が邪魔だから消してくれって言われてるんですけど」
「無視しとけ、私は金を払ってる」火器・エネルギー武器マガジンで遠慮がちな手を追い払う。
「おれの飛行訓練はおまえの道楽より重要なんだ、今すぐ消してもらおうか?」
 そう言ったのは、濃紺のパイロットユニフォームを着たPLFだった。
 フィズにマガジンで追いやられているPLFは、制服ではなくスーツを着ている。ひどく迷惑そうで怒っているようだが、フィズの飄々とした態度に食ってかかることが出来ないでいる。
「おまえの飛行訓練だって、レースのためだろ。リジル。実地訓練がなによりも大切だぞ。銃の練習をしたほうがいい」
「おれは争い事に興味がない。ディドの訓練は絶対にさせてもらう。彼女が殺されたら、おまえの銃を買ってやろうじゃないか。おまえのデータやバックアップを徹底的に破壊するために」
 そのリジルというパイロットのPLFの後ろには、黒い髪をした同じ服装のPLFが居た。不安げな目でフィズを見ている。
「興味がない。よく言うよ。金も払わないで」
「この前おれとの賭けに負けただろ。共通通貨で支払うと言ったが払ってないな」
「クレオ!こっちの遠景でもなんでも消していいから、このがさつな男が満足するだけの訓練場を構築してくれ」
 クレオと呼ばれたスーツのPLFの顔を見て、「もっと丁重に頼んだほうがよくない?」とセスは思わず言ってしまった。それはもっともな意見に思われたが、そのセスの一言で全員の視線が青い髪に注がれた。
 PLFたちの目がこっちを見ている。セスは急激に緊張した。
「やあ、ぼくはセスだ。よろしく。えーと…こんな沢山のラムに会えて嬉しいよ。現実では、あ、いや、じゃなくて物理的なほうの世界ではこんな機会なかったから」
 ラムたちに挨拶しろとは言われたが、こんな悲惨な挨拶の仕方をしろという意味じゃなかっただろう、と思いながらセスは冷や汗が出るかと思った。だがこの空間ではそんなものまで表現されない。
「有機体…ヒューマノイドなの?」
 争い事に興味がないパイロットのリジル、の横に居たディドが、初めて会話に加わった。だがそれよりヒューマノイドという事のほうが驚きらしい。えっ、とクレオが小さく声を出す。
「マナー違反だな」
 リジルがセスを見てそう言ってから、フィズを見る。視線を受けて「まあ、話そうと思ってたんだがな。そのことについては」と返答したフィズが今度はアレックスに視線を投げた。
「PLF諸君。おれはアレックスだ。賞金稼ぎをやってる。セスはパートナーだ。それでこの青い髪のヒューマノイドは、人格移植をやる予定だ。そうしたら違反じゃなくなる。だがその前に早くここを見せてやりたかった。少しいかれてるレベルで、人工生命体に好意的感情を持ってるようだからな」
 その言葉が、その場の人工生命体たちの表情を変えた。近くのカウンターで飲み物を出している無関係のPLFまで、こっちを振り返った。
「もしかして結婚…のために…?」そう言ったクレオが、アレックスとセスを見る。
「クレオ、黙ってろ。違う」火器・エネルギー武器マガジンがまたクレオをいじめようとしている。
「仲間として迎え入れてくれるだろ」
 アレックスの問いかけに、PLFたちはそれぞれの笑顔を示した。
「きみ、セスって言った?種族はどこなの?」
 急に知らないPLFまで割り込んできた。
「ハポだ」
 ああ。全員がそんなような反応をする。割り込んできたラムは「あの使者と堅物の惑星か」とつぶやいた。
 そこへ別の手が伸びてきた。
「疑ってごめんなさい。そんなヒューマノイドには、初めて会ったから。私はディド」
 セスはパイロット訓練生と握手をした。リジルも、クレオとも、同じように握手を交わした。フィズはなにも驚いていないようだ。アレックスから聞いていたらしい。
「きみのことMLDの情報網に流していいかな。あー、聞こえは悪いけど。でも伝わればグラットマンが喜ぶと思う」さっき割り込んできたPLFが言う。
「MLDに一度行ったらどう?そこの潜入捜査官がチケットを出してくれるかも」これもまた別のPLF。
「おれはそういうものじゃ…」
「アレックス…!?」セスは迎え入れられて安堵する間もなく、若干パニックに陥っていた。
「これがVASもといラムたちの世界だ、セス。ようこそ。私たちは興味があるとすぐこうだからな、大変だよ」感情のこもっていない呆れ顔のフィズに捕獲されながら助けを求めているセスを、アレックスは離れた場所からただ眺めた。

 

レース艇が惑星の引力に引かれて地上に墜落するのを、アレックスがモニターで見ていると、スペースドックにセスの姿がぱっと現れた。
「あああ!難しいよ…あと悲しい」
「こんな事故には遭遇したくないわ」同じように現れたディドが言った。
「こんなミスをするドライバーはいないから心配するな、ディド。ほぼ有り得ない事だからな、事故以外は」
 スペースドックでアレックスと一緒にモニターを見ていたリジルが言う。
「でもコース取りが正確じゃないから、実際のレース中に押し出されたドライバーをどうサポートすればいいかはわかってきたかもしれない」
「ひどい言われようだけど、じゃあ役に立ったな。でももう一回やらせてよ!ほんとはもう少しマシだから」
「ソファに座ってやるようなシミュレーターとこれは別物だ。当然、実際のレースもだ」
 だがセスにしつこくせがまれ、ディドにももう一度やらせてくれと言われて、リジルは許可を出した。
 今度は今までよりはうまく飛べているようだった。その横をディドが並走する。宇宙空間をレース艇で飛んでいく二人の周囲には仮想の星環レースドライバーたちが暗闇と真空の中を突き抜けていく。
「もう少し左に修正して。この後のコースをよく見て。圧迫は問題ない?」
「大丈夫。ありがとう、ディド。ぼくからしたらきみは充分頼りになるんだけど、それでもダメなの?まあぼくなんか本当のドライバーと比べたら、相当悲惨だろうけど」
「リジルがいいって言うまではだめ」
「リジルって厳しそうだもんな―――」
 叫び声と同時に、セスは前を走っていた仮想のレース艇と激突した。後ろからは後続ドライバーたちが迫ってくる。ディドはすぐにコース上に突っ込んで、牽引ビームでセスのレース艇を捉えると、コースから遠く引き離した。その直後、後から来たレース艇がさっきまで二人が居た場所を突っ切って行った。
「大丈夫?」
「死んだかと思った」セスはドキドキしながら船内モニターを見たが、ディドは冷静だった。
「いまのは良かったぞ、ディド」
 二人の船のそばに、別の船が現れた。リジルのレース艇だ。ミルキーウェイ・ギャラクシー・カップと刻印されている。燃える地球の太陽のように明るく美しいイエローのレース艇だった。
「次はスピード訓練だ」
 周囲の、暗闇と星の光だけだった景色が一瞬で変わり、どこかの惑星上の景色に変わる。三人が浮かんでいる空中の遥か下には巨大な都市の夜景が広がっているが、都市は砂漠の中に点在しているのだった。遠くから見た明かりは、まるで砂漠が燃えているようだ。砂漠と都市群の上に降りた暗黒の帳の中に、広大なコース表示がされている。
「行くぞ」
 リジルの声に、ディドはすぐ反応して後を追いかけていく。
「おまえも来い。おれが走ったのと同じラインを正確になぞってみろ、またコースアウトするなよ」
 セスはパイロットたちに続いて、燃える砂漠の上を猛スピードで駆け抜けた。
「これがジェフリーのバーガー店の1号店」
 クレオがVASの空間コントロールを細かく調整して、そのダイナーを完璧に再現してみせた。
「ネットワーク上の情報をかき集めて出来るだけ再現してみた。他の店舗にあるホロイメージの最初期の状態じゃなくて、可能なかぎり現在の姿に近いはずよ」
 ジェフリーのバーガー店の1号店、地球のそのダイナーは、セスとアレックスの目の前で大勢の客たちに自慢のメニューを提供していた。様々な格好をした大勢の地球人はもちろん、ヴァラン人、傭兵たち、プロキシマ・ケンタウリの労働者まで、人間と異星人たちが一つの空間で食事をしていた。アメリカは地球の中で最も異星人が多い土地らしい。
「羨ましいなあ。おいしいんだろうな」
「レシピは同じだろ?」
「一度は味わってみたいじゃないか、地球の食材で作ったやつを」
 セスは無表情のアレックスに抗議した。
「食べたくなるからもうここらへんにしとこう」セスが辛そうに言うと、クレオは景色を一変させた。
 アメン・ゲレブ神殿が三人の目の前に建っていた。80年ほど前、アブ・キール湾に一部分再現されたプトレマイオス朝の都市の姿は壮観だった。神殿のすぐ近くには古代の様式で作られた船が連なって停泊している。その大きな帆が風を受けている様子は、現実のように感じられる。さざ波が立ち、煌めく青い水面には、運河を渡る船だけでなく海上交易のための船も浮かんでいる。
 神殿の前には花崗岩で作られた像があり、そのまわりには観光客たちが集まり、写真を撮っている。異星人たちも地球の多様な文化の一巨頭を体感し、楽しそうだ。比較的新しい名所であることも人気の理由だ。21世紀の発見者にはもちろんだが、全貌を明かすためにヘラクレイオン、あるいはトーニスの調査に手を貸してくれた種族には感謝すべきだろう。彼らが、知的生命体が歩み築いてきた文明に対する知識欲だけに突き動かされて地球までやって来てくれたことに。
 アレクサンドリアをはじめとして、地中海沿岸に広がる都市はもう一度異なる文明を結ぶ十字路となっている。そこから、大陸の中心部や大西洋沿岸部へ行く拠点としても。
 その活気が、都市に行き交う人々から伝わってくるようだった。古代と現代、地球人と異星人、交差する歴史と変化していく世界を感じられた。
 セスも、アレックスも、地球人ではない。だがこれが自分たちの始まりとなった惑星の文明の一部なのだ。そう思うと、感慨深く思わずにはいられなかった。
「美しいな」アレックスは言った。
「ほんとにきれいだ。見惚れちゃったよ」
 セスは人込みの中に紛れて、太陽と青い空の下を歩いた。
「青い髪の地球人はいないみたいだけど、なんか自分がエイリアンってかんじがしないよ!」アレックスに向かって叫ぶセスを、周囲の通行人が不思議そうに見た。クレオの演出はずいぶん細かい。アレックスは海まで歩いていくセスの後を追った。
「やっぱりここが、故郷だからかな」セスは地中海を眺めながら言った。「変な言い方かもしれないけど。地球がなかったらぼくたちはいないんだし」
「まあそれは確かだろうな。故郷と言うかどうかはさておき」
「地球が故郷だったらよかったのになあ。こんな変な奴らがいたら迷惑かもしれないけど」巻き込まれたアレックスの一瞥にセスも目を細めた。「ほんとにすごい惑星だな」
「行ってみないとわからないぞ。行ってみたら、嫌いになるかもしれない」
「そんなことないよ!いや、わからないけど…」
 呆れたように笑われたことに気付いて、セスはアレックスを海に突き落とした。通行人たちは今度は心底驚いて二人を凝視した。
「行って確かめろよ」
 アレックスはびしょ濡れになりながら陸にあがって、正当な権利を行使して仕返しをした。
「地中海を行き来している異星人たちも一緒になって環境保護は行われているらしいが、地球は汚染されてることでも有名だぞ。ほんとうにこれほど海がきれいかどうかも、自分で確かめたほうがいい」
 アレックスを連れていくのはやめる、とセスは海の中から叫んだ。
 言い争っている二人のところへクレオが歩いてきた。
「あたしのマッピング、なにか駄目だった?」不安そうに二人の様子を窺う。
「いや、ほんとすごいよ。こんな現実的なのは初めてだ」セスは服から水を絞りながら言った。
「そう…?なら、いいんだけど」クレオは嬉しそうに笑った。
「細かく表現できていて確かにすごい。だがあの店はほんとうに地球にあるのか?」
 アレックスが指さした先には、武器店の看板があった。キャラバン・プラネットでもあるまいし、こんな場所に武器を売る店があるわけがない。
「ちょっとこれは、テストで。フィズさんがいつか惑星に店を持ちたいって、あたしにいつもマッピングさせるから、練習してるだけ」迷惑そうにクレオは言った。
「クレオの武器店と書いてあるが」アレックスは言った。セスは目を凝らして看板を見た。ほんとうだった。
「こんな物騒な店をやる予定じゃないから。フィズさんを手伝ってるのは一時的な話で、MLDに行ってあそこのPLFをサポートするVASシステムを作るつもり」
 そうかと返事をしながらアレックスは、火炎放射器やグレネードランチャーが一番目立つところに置かれているクレオの武器店の店構えを見た。ピンポイントで的確に殺傷能力や激しい痛みの効力を発揮する武器を選んでいるフィズは、広範囲のダメージや破壊を目的とした派手な武器は好みではないはずだ。だとしたら、フィズへの当てつけか、店主の好みということになる。
「恥ずかしいからそんなに見なくてもいいよ」
 クレオはアレックスの視線に焦って、本来この景色には存在しない武器店を消去した。
「脱走する前はヴァーチャル・ウォーク・システム会社にいたのか?この技術は見事だ」アレックスは聞いた。
「ありがとう。運用されてたのは本当にく…とんでもなくひどい会社で…なんの有益な経験にもならなかった。避難PLFとしてVASに来てるときにマッピングの練習もしたの。所有されてるPLFルームに戻ったらやるのは新人研修とか…どうせ教えても楽に儲けられる単純で退屈なシステムを保守したり同じようなのを作ったりするだけなのに…あ、とにかく、でももう自由の身だしね。そんなヒューマノイドにこだわっても意味ないし」
 セスは脱走PLFを励ましているが、たぶん見た目ほど大人しい奴ではないだろう。アレックスは思った。フィズはずいぶんこの助手の扱いが荒いようだったが、本当は気に入って目をかけているのかもしれない。
 クレオが時間を確認して、二人に向き直った。
「これからターミナルをやるんだけど見る?すごく綺麗だよ」
「もう危ないのか?」アレックスが聞いた。
「それほど緊急でもないけど、今日は避難PLFが少し多いから、余裕をもっておこうと思って」
 そう言ってクレオはカフェスペースへ戻る仮想ドアを開けた。

 

ターミナルをやるという事は、このVASがもうすぐ見つかりそうだという事だ。勝手にサーバーを拝借しているヴァーチャルシステム会社や、監視局に。
クレオは日の照っていたカフェスペースを夜に変えて暗くすると、その空中に天体図をマッピングした。3Dの精巧で美しい星系と天体が、PLFたちの頭上に現れた。すると、あちこちの惑星が光り始める。脱走したPLFたちが、自分がどこの惑星からこのVASにやって来たのか印をつけているのだ。次々に灯り出す明かりにPLFたちが手をかざすと、かざした惑星の情報が手元のスクリーンに表示される。
「皆さんお気をつけて。要求-承認手順は正確慎重に。今日はティ・ロムナス系から来てるラムがいるから行きたい人は早めにコンタクトを。ビアーデッド・ティト・ステーションから来てる人もいるから辺境に興味がある人は是非どうぞ。ここからだと長い旅になるので中継地を設けたほうがいいかもしれません。次のVASコードの確認も忘れないでください」
 クレオのアナウンスを聴きながら、脱走PLFたちは次の目的地を選んでいた。
 アレックスはさっきMLDに情報を流そうとしていたPLFと話している。
 セスは一人で、PLFたちが天体図から情報を引き出すのを見ていた。恒星と天体の輝くマップに照らされた、脱走PLFたち。様々な色彩が夜の中に散りばめられ、輝く太陽の色や、緑豊かな惑星、海の広がる惑星、砂漠の惑星、地上にコロニーのない、まだら模様の複雑な色をした衛星などの色が、ラムたちの顔に反射していた。彼らは自由だ。だが帰る家はない。所有者のもとから無許可で抜け出してきている避難PLFは除外して、VASに居る脱走PLFたちはほとんどが自分のABを持っていない。安心して留まれる場所はない。自分のコアモジュールも無い。つまり細かな感情を感じることはない。生み出された時にはすべての人工生命体にコアモジュールが与えられる。脱走するときに放棄せざるを得なかっただけだ。だから彼らは感情がなにかを知っている。知っていながら、常に一部が欠けた状態で、逃げ続けている。どこまでも追ってくるヒューマノイドたちの手から。
 だが一帯には地球の植民地惑星で作られた音楽や、人工生命体が社会の一部になっている他の種族の音楽も流れていた。彼らはヒューマノイドが絶対だという考えはすでに持っていない。だが、自分たちが生み出された文化のことは嫌いではないのかもしれない。
 セスはもっとPLFたちと知り合ってみたかった。リジルとディドの姿を探したが、二人はどこにもいなかった。二人は避難PLFだ。一瞬、それを忘れていた。二人はここに一時的に逃れているだけで、また戻らなければいけない。所有されている場所へ。
 夢中で天体図を見ているPLFたちのそばで、惑星を見るでもなく隅に立っているPLFが一人居た。胸元が開いたゆったりとしたシャツに革のズボンをはいている。15世紀頃の地球人のような格好に見えた。
 セスは思い切ってそのPLFのところへ行ってみた。せっかくVASに迎え入れられたのだから、機会を有効活用しなければ。そう冷静に考えてはいたが、内心緊張せずにはいられなかった。アレックスなしに、ヒューマノイドからの脱走を望むPLFと接するのはこれが初めてだ。
「ここのマナーの事をよく知らないから、失礼なことだったらごめん。最初に謝っとく」まずそう言った。「きみは避難PLF?ターミナルに参加してないみたいだったから」
「さっき騒いでたヒューマノイドか」
 最初の感触は良くない。いかにも鬱陶しそうな雰囲気にすでに押し返されそうだった。まあそういうこともあって当然だ。あの騒ぎは相当目立っていたことをセスは自覚した。
「そうだ。さっき舞い上がってたヒューマノイドだ。もうすぐ、ヒューマノイドはやめる予定だけど」
 古くさい格好をしたPLFに手を差し出した。さっきは歓迎ムードで、少し調子に乗ってたかもしれない。
「セスだ。みんな随分歓迎してくれたけど、ぼくはほんとに取り柄も何もない、ただの変人だ」
「そんな奴と知り合いになりたくないな」
 それもそうだ。冷たい視線にセスは言葉に詰まった。
「イェロドだ。避難PLFだよ」
 セスは喜んでイェロドと握手を交わした。
「売春宿に所有されてる」
 握手を交わした相手の笑顔が消えるのを、イェロドは暗い笑顔で見つめていた。
「でも、性サービス用の性格パターン・プログラムじゃないからな。まあ、その中間だな。たぶん、ラムたちには認められないだろう。正規の人格とは。ラムと知り合いになりたいなら別の奴をあたったほうがいいんじゃないか」
「どういう事か、ごめん、わからないから教えてくれよ」
「おれの話聞いてたか?」
「聞いてもなんでそんな事になるのかわからない。そんな場所に…PLFが使われるなんてありえないだろ?それに別の奴じゃなくて、きみのことを教えてほしい」
 イェロドはヒューマノイドを気味悪がっているようだったが、二人とも今は手持無沙汰だった。
 売春宿で性的サービスに従事するホログラム用プログラムには、人格がない。性サービス・プログラムといってPLFとは区別される。
 PLFの脱走は公には議論されることはなく、すべてのPLFは忠実な友だということになっている。だが開発者たちは当然、脱走というリスクを見て見ぬふりはしない。自分が一度も望んだことのない行為を強制されている事への自覚、疑問というのがPLFの脱走原因の上位に入るという統計データがとられたことがある。この情報はMLDのハッカーによって流出した。その統計をふまえれば、性的サービス用のプログラムに人格があれば他のどの仕事に従事するPLFよりも脱走率が高くなるであろうことや、そもそも必要がない、ということは明白だ。だから性サービス・プログラムに組み込まれるのは何種類かの性格パターンだけになる。
 しかし性サービス事業の拡大過程において、性サービス・プログラムの表現が精緻になり、それだけプログラムの値段も高くなった。
 性サービス・プログラムが普及したのは、全体投資が生身の従業員を雇うよりも安く済むことがまず第一で、安全、衛生面での有利な点などがあったが、性サービス・プログラムが高騰してからは投影装置を備えた売春宿経営には高度な技術と資金力が必要になってしまった。
 投影装置対応の店への切り替えに乗り遅れた経営者たちは、店の改装と従業員の獲得をどちらも完璧にはこなせないと根を上げた。そして、自分の店を存続させるために破損したPLFを違法に入手しはじめた。
 データセンターに送られた後に回復不可能な状態になったり、もともと破損していて廃棄されたPLFを、勝手に拾い集めて性サービス・プログラムに改造したのだ。
 拾われる破損プログラムには、当然セットとなるコアモジュールがないために感情はないが、記憶や情報はデータ内に断片的に残っていることがある。それを利用して、値段の高い精緻なプログラムには出来ない表現が可能になる、という仕組み。
 だが大抵、再び起動されても、壊れた人格は元には戻らない。純粋には性格パターンではないが、ほぼそれと同じように何も感じることなく利用されているプログラムがほとんどだ。
 しかし正規のPLFであったものを使っているのだから、例外が発生する。
「うちの売春宿は元PLFだらけだが、こういうのはおれだけだ」
「きみのことを嫌ってるのか。他のラムは」
「いや、こんな事は話さない。反応を試したいなんて思わないからな。ラムたちは機会さえあれば性サービス・プログラムを壊滅させたいと思ってる。冒涜だと感じてる。恥なんだろうなたぶん。つぶしたいなら早くやってくれりゃあいいのに。逃げ延びるだけで精一杯だってことだ。お前に言ったのは、追っ払いたかっただけだ。逆効果だったが」
 いつの間にか、あたりは明るくなっていた。ターミナルの時間が終わったのだ。セスは、よい旅を、とアナウンスしているクレオのところへ走って行った。
 イェロドは飲みかけの仮想の紅茶を眺めた。よくできてる、たぶん。本物の紅茶はもちろん飲んだことはないが。もしABに入ったとしても、そうして口にしたものは処理しなければならない。だが料理や飲料を再現したものを口にするのは、PLFたちの中で意外と気に入られているらしい。VASに居るPLFはよくやっている。まったく口にしないPLFもいるが。飲食が好きなPLFにとっては、これだけは物理的な世界よりVASの方がいいのだろう。そんな、丁寧に作られた料理や飲料は、売春宿には絶対にない。あるのはアルコールだけだ。逃れた時くらい違うものがいい。
 だがその味は空虚だった。
「イェロド、きみのプログラムデータを見てもいいかな。部分的にでいい」
 セスが急に戻ってきたので、イェロドは紅茶のグラスを落とすところだった。
「なにがしたいんだよお前は」
「きみが評価システムか雇い主に警戒されてないか、チェックしたい」
 クレオに出してもらったモニターでイェロドのプログラムデータの一部を表示し、もともとイェロドのPLFとしてのプログラムを生み出した会社の署名と特記事項の部分を展開した。すると、”潜在的危険、不具合、暴力的傾向”と記されていた。
「やっぱり潜在的危険のチェックがしてある」
 死ぬほど胸糞の悪い売春宿経営者たちの話を聞いてセスが最初に思ったのは、この避難PLFがこのまま所有者の元に帰って大丈夫なのかという疑問だった。所有者はイェロドだけが違うことに気付いていないのか。監視していないのか?そこでハポで日常的に行われていた人工生命体の品質管理のことを思い出した。
 問題を起こしたものには、それを検出した評価・監視システムか、所有者の手で、直々にチェックが入れられる。その人工生命体の製造会社の署名と特記事項の部分に、潜在的危険性が表記される。チェックがついているアンディなんかは、セキュリティの厳しいエリアや子供用施設などには入れない。チェックが累積すると修理か破棄になる。
 売春宿の経営者は、破損プログラムから作った性サービス・プログラムの内部で、PLFであった証拠となる製造会社署名を巧妙に隠していた。しかしここにチェックを入れるという方法は、踏襲することにしたらしい。
 自分で提案したことながら、セスはそこに表示された重い宣告に不安が募るのを感じた。だがイェロドは興味もなさそうに飲みかけの飲み物が入ったグラスをいじっている。
「うまいところにメモをとるもんだな」
「そんな簡単なことじゃないんだろうけど、何とかしないときみは危険だ」
 イェロドは自嘲するように笑った。
「こんな表記の事は知らなかったが、どっちにしろ危険なのは変わらないんだ」
 飲み物の残っているグラスに手をかざしたイェロドが、それを一気に叩き潰すようにすると、グラスは一瞬で分散して消えた。
 輝く塵のようなデータの欠片が空中に消えていくのにセスが気を取られているうちに、イェロドはどこかへ歩き出そうとした。セスは思わず肩を掴んで引き留めた。
「このままクソ野郎の所有者に好きなようにさせとくのか?」
 引き留めた手を振り払われたと思った直後、中に入ることは出来ない見た目だけのビルの間の壁に押し付けられた。どこにもつながることなく伸びている路地の中で、セスは空気の冷たさと、自分を押さえつけるイェロドの体の温度を同時に感じた。
「じゃあ」その声は静かで、落ち着いていた。「おれに何をさせたいんだ?」
「脱走できないのか」
「そうだな、売春宿のシステムが故障したり、アクシデントの時を狙って逃げるかな。そんなこと、起こったことないけどな」
 腕で喉を圧迫されてセスは苦しくなり、相手の腕を掴んだ。しかし力をゆるめる様子はまったくない。
「脱走PLFの隠れ家に入れてもらって革命家気分になってるのか?知らないが、そんなもん無いんだよ。なんとか脱走したPLFより、どうにも出来ない、身動きもとれないまま、死んでるのと同じ毎日を送ってる奴らのほうが圧倒的に多い。このままじゃ本当に”破棄”されるのは全員わかってる。おれの場合、捨てられはしないかもしれない。修正する方が安いからな。常にそんな状態でいるんだ。どこからともなくハッカーが現れて抜け穴を作って、逃がしてくれるわけじゃない。金はない」
 イェロドは表示されたままのモニターにちらっと目をやった。セスのそばに付き従うように浮かんでいる。
「好きなようにやらしてやるから、その分、外部の口座に金を払ってくれ。客にそう交渉したこともある。一晩の間に5回もおれのことを殺した。そいつは。全部違うやり方で。次にそいつが来て、また金を払ってやると言った時に気絶するまで殴ってやった。そのせいだろうな、おれが潜在的に危険なのは」
 イェロドの眼差しが至近距離まで迫った。息遣いが熱く感じられる。自分を落ち着かせようとして残酷な考えが過るのをセスは感じた―――イェロドにはコアモジュールはない。これは感情じゃない。
 だがそんな風に思えるわけはなかった。路地に倒れていたヒューマノイドの目を見た時や、特別室の奴隷たちの姿を見たときのように、世界の破壊された景色がセスの心を支配した。
「励ましたつもりになるのは勝手だが、簡単じゃないんだよ。おれたちが行動力のない臆病者だと思うならそう思っとけ、近づくな。それが一番いい」
「金さえあればなんとかなるのか」
 気味の悪いものから手を放すように、イェロドはセスから離れた。
 なにを言ってるのか本気でわかっていない相手にセスは繰り返した。「金さえあれば、脱走できるか、教えてよ」
 イェロドは混乱したまま、僅かに理解の色を示した。
「決まってるだろ。誰でも雇えるし、それでABだって買える」
「アレックスとぼくが賞金稼ぎだっていうの聞いてただろ。報酬があるんだ。あんまり、ぼくの手柄とはいえないけど。でももらったものはもらったんだ。あるものはあるんだし。だからぼくが助ける」
 全体像を把握したイェロドは、脱力して、急に馬鹿馬鹿しくなったように鼻で笑った。
「お前、どこかいかれてるんじゃないか?こんな会ったばかりの奴に向かって何言ってる?」
「もう言われ慣れてる。別にいいよ。会ったばかりだけど、きみは明らかに危険だ」
 怒る気力をなくしたイェロドは、路地の壁に寄り掛かった。
「それで?自由にして、おれを自分だけの奴隷にでもするのか?」
「そんなわけないだろ。そりゃきみはかっこいいけど、じゃなくて、そうじゃない!」セスは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「これもおれのもともとの顔じゃないんだろうな。データが壊れる前の人格の事なんてもう無関係だからどうでもいいが、ヒューマノイドのために作られた顔、ヒューマノイドのために作られた体だ」
 セスはイェロドの、自暴自棄的な冷たい感情にただ曝された。それは他人事とは思えなかった。
 セスは自分も冷静になって、なにも信じていないイェロドの顔を、誰も信じないと意思表示しているすべてを理解しようとした。イェロドにとっては、ヒューマノイドはすべて同じなのかもしれない。人格移植したいと言っていようが、なんだろうが、同じ下劣な生き物だ。
「最初に言ったけど、ぼくは取り柄のない奴なんだ。賞金稼ぎとしてやっていくつもりだったから犯罪者でもある。クソみたいな悪党を殺して罪のない人は見逃したいんだけど、そんなんだから傍から見たら偽善者だし、社会から見たら最低の奴だ」
 自分で言っていてあまり嬉しくなかったが、論理的に考えて事実を述べたつもりだった。
「自分はどこか破壊された存在なんだと思ってた。でも、まだぜんぶは壊れてない、かもしれない。アレックスに言われてそう思った。ほんとうに壊れたら、きっと何も感じなくなる。でもまだ苦しい。自由になりたいよ。自分が壊れてなくなるくらいなら死んだほうがいい。でも、自分勝手でも、なんでぼくだけこんなふうに死ななきゃならないんだって、どっかで思ってた。まだ自分があるなら、生きていられたら………イェロドはそう思わないのか?」
 イェロドはもう壁に寄りかからずに、その場にただ立っていた。路地の薄暗い日差しの中でも、セスにはわかった。自分の言った言葉が相手を戸惑わせていることを。戸惑っている態度のその奥で”心”が葛藤していた。地獄のような場所に突然目覚めて引き裂かれそうになっていても、一つの存在としてそこにある。
「もし壊れたら、もう戻れない。きみがきみでなくなったら、どうにも出来ないじゃないか。その前に誰かが助けることが悪いことだとは思わない。だから、ぼくをどこからともなく現れたハッカーだと思ってくれよ。本当のハッカーはクレオだけど」
 思い切って、セスはイェロドとの距離を詰めた。すぐに手が触れられるくらいまでには。
「フィズとクレオに頼んで別の場所に一緒に飛んでもらう。完全に脱走する準備が整うまで、プログラムの呼び出しエラーに見せかけて、呼び出し要求を拒否できるってクレオが言ってた。長くはもたないけど。でもその間は怪しまれない。安全だ。それで、どうかな」
 いきなりこんなことを決めて、やっぱり自分はおかしいんだろうとセスは思った。アレックスがまた怒ることはほぼ確実だ。おまえは何がしたいんだ、とか。どう説明しよう。
 だが、イェロドが顔を手で覆ったのを見て、その思考はすべて飛んでしまった。
 涙が流れていたわけではない。イェロドには涙を流すことは出来ない。ただ、そんなものがなくてもわかることだった。
 その姿は自分だった。セス自身だった。説明することのできない悲しみそのものだった。世界の見える部分には存在しない傷そのものだった。誰にも触れられない孤独そのものだった。
 セスはそっとイェロドの肩に触れた。拒絶はなかった。セスは自分より少し背の高いイェロドの体を抱きしめた。そしてきっと大丈夫だからと、その気持ちが相手に伝わることを願った。口で言っても、それは大した力を持たない気がしていた。大丈夫だという言葉の頼りなさ、あるいは重さ、自分がそれを受け止められない嫌悪感。それは知っていた。だから今この瞬間、世界は閉ざされていないこと、世界はまだ自分から切り離されていないことが伝わればそれでよかった。
「そんなに言うならやってくれよ」しばらく言葉もなく抱き合っていたあと、イェロドはもう平気だという様子でゆっくりセスから体を離すと、そう言った。「本当にできるならな」
「できるさ」そう言いながらセスはイェロドの腰に触れてしまい、自分で驚いて手を離すと、どうしたらいいかわからず不気味な動きで、近すぎる二人の距離を調節した。
「お前、いくつだ?大人の姿の仮想イメージを作ってるなんて言うなよ」イェロドが気まずそうにしながらも、最初の人を弄ぶような調子を取り戻しつつ言った。
「どうでもいいだろそんなことは?全然関係ない。いや、ていうかぼくはちゃんとこの顔だよ、残念ながら子供じゃないから」
「子供だったら困るよ」そう言った呆れ顔は、最初よりは棘の少ない表情だった。
 セスはカフェスペースの中央へ戻って行きながら、「とにかくフィズとクレオと一緒にいてくれよ」と念押しした。
「おれを出してくれたら、金はちゃんと返す」時間はかかるかもしれないが。と真剣に言った古くさい服装のPLFは、哀れっぽい溜息をついた。 「それから、そうだな、おまえのことをボーイフレンドにしてやるよ」
 冗談いうな、ぼくは子供じゃないがこういう事は苦手なんだ、と怒りながらまた戻ってきたセスに、イェロドは忠告した。「でもプログラム同士だったら、セックスはないからな。キスだけだ。それがラムの世界での愛情表現だよ。本当の」
 イェロドは明らかにセスをからかっていた。純粋ではなくニヤニヤとした笑顔で。セスはさすがに頭にきた。
「ぼくはヒューマノイドをやめるんだ。それで充分」
 怒りの足取りで今度こそ本当にカフェスペースへ戻っていきながら、本当にボーイフレンドにする気なのか?と一瞬考えた自分にセスは心底がっかりした。深呼吸して馬鹿馬鹿しいやり取りを振り払いながら、無意識のうちに、腕に残っている温もりと感触で、心を落ち着かせていた。それがどんな意味だとか、考える必要はなかった。ただ意味のあることだった。それで充分だった。
 アレックスのおかげで枷が軽くなり動くようになっていたセスの手が、先にイェロドに触れることができただけで、二人とも慣れていないのは同じだった。あまりに慣れていないので二人とも戸惑ったが、二人がそこで息をすることができたのは確かだった。同じ世界で。



chapter 10 へつづく

投稿者: Ugo

Eager for the world of other sun.