誰かの中の1日目
西村 烏合
chapter 12
ペリパトス・デイに向けた音楽祭が続くキャラバン・プラネット115。中央地区のAB部品店。どの種族タイプ、モデルでも修理可能、最新AB対応。アクセサリー各種取り揃え。旅の途中で故障したABは当店で修理して、快適な観光をお楽しみください。
軌道エレベーターから徒歩10分のところにある古びたAB部品店の奥、スペースはないように見えるが、そこに隠された部屋に、1体のABが用意されている。人間の男性モデルのAB。見た目は20代。
セスはそのABの隣に、頭や腕を装置だらけにして座っている。ヘッドセットや、コードや、薬剤投入用のチューブが入り組んでいる。
アレックスはその隣で、ミスター・フリントが黙々と準備するところを見守っていた。
軌道エレベーターから降りてすぐのところには、新しいOIDホスピタルの施設がある。こんな、潰れそうなAB部品店に、アンドロイド用でもPLF用でもない改造ABがあり、移植設備が整えられているなんてことは、事実として目の前にあっても奇妙だった。
ここはミスター・フリントの所有している店ではなく、設備はほとんどプリンターで出力して用意したのだと言っていた。どこかに拠点を構えていると見つかったり捕まるリスクがある。だから移植を行う時は必ず新たに設備を用意することにしている。そんなに頻繁にやることでもないから。そう当人は説明していた。なにが必要かわかっていれば難しいことではない、と。
二人を出迎えたミスター・フリントは自分で言ったとおり人間のようだった。VASの姿とまったく変わらない。彼女の姿は、40歳より上には見えなかった。その若さでここまでの事ができるというのは、生まれた瞬間から研究しているということだろうか。セスは店に着く前にそんなふうに茶化していたが、本人に会って作業部屋に入った途端にずいぶん大人しくなった。
「写真を入れ替えないと」
セス・サンダーソンのIDを眺めながら、セスはアレックスに言った。ホログラムのイメージ像には青い髪のセスの顔が描写されている。
「髪を染める必要はなかったな」隣にあるABの髪は黒だ。「一回やってみたかったからいいんだけどさ」
「どっちにしろ髪より顔が違うだろ。あとでもう一度偽造屋に連絡しておこう」
あの偽造屋はとても従順だから、ホロイメージを変えたIDを軌道エレベーターまで届けてくれと言っても快く引き受けてくれるだろう。最初にIDを受け取りに行ったとき、この賞金稼ぎはいまたっぷりと金を持ってるという事をどこかから知ったのか、言い値を払わないならIDは渡さない、という強情ぷりだったので予定よりも強めに脅すことになってしまった。それが関係あるかわからないが、あの偽造屋は使える奴だ。
「初めてABに入る前どう思った?」
低く唸る機器類の作動音以外は聴こえない部屋に、セスの緊張した声が響いた。
「接続不良が起こる確率はゼロじゃないことを考えていた」
「正直な答えをありがとう。しかもぼくの方が失敗する確率は高い」
「頭を椅子にしっかりつけて。固定するわ」
ミスター・フリントはセスの頭頂部とあごに神経質そうに手を添えて、必要な姿勢を取らせた。セスとABはまったく同じ姿勢で、並んだ椅子に座り、接続の時に備えられた。
「じゃあ、初めて入った後は、どう思った?」
「余計なすべてから切り離されて、解放された」
「いいね。それなら最高だ」
「これから接続に入るわ。黙ってじっとしてくれないと低い確率が更に低下するだけよ。オッケーかしら」
ミスター・フリントはモニターの前で承諾を待って、こげ茶色の髪を左耳にかけた。青い目はまったく緊張していないように見える。アレックスはこのヒューマノイドがこの体で生まれてきたのかどうか疑った。
セスはすこし強張った表情で、アレックスの顔を見上げた。
「昨日言ったこと忘れてないよな?」
「ああ」
緊張した視線はどこか他の場所へ向かおうとしたが、またアレックスのところへ戻って来た。
「アレックスは宇宙一かっこよくて、いい奴で、最高の存在だ。冗談が好きなとこがかわいい。ずっと言いたかった。でもこれで調子に乗って練習台にしていいって意味じゃないからな」
「じゃあおまえ以外に誰に言うんだ?」
セスは動けないので、表情で精一杯怒りを表した。その顔にアレックスは笑いかけた。本当は自分自身の姿でそうしたかったが。セスには伝わるだろう。
「ミスター・フリントの事はよく知らないが、あなたがこの研究に身を投じてきてくれたことに感謝する」
「そんな事を言ってくれる人はいないから嬉しいわ」
声の調子は相変わらず妙な冷たさがあったが、少し微笑んだ顔は、今までの笑顔とは違うように見えた。
「じゃあ始めていい?」
「よろしく」
セスがうなずいたのを見て、ミスター・フリントはモニターと向き合って操作をはじめた。その二人の様子を見ながら、アレックスはセスの肩に手を置いた。励ますため。そうしてから、すぐに手を離した。接続の邪魔になるからだが、完全な意思決定の末の行動ではなかったことに驚いたからだった。励ましたいと思った直後にそうしていた。肩に手を置くか、やめるか、比較が行われなかった気がした。
「接続開始」
ミスター・フリントの落ち着き払った声がそう告げた。一瞬部屋が静まり返った。
直後、革が引っ張られる音がした。セスが肘掛を強く握りしめていた。顔を歪ませてなにかのショックに耐えている。痛みか、衝撃かわからない。腕に装着されていたチューブから、薬剤が投与された。心電図が徐々に音を変化させていく。心拍数は一度高まったが、徐々に落ち着いていき、苦しげな表情が和らいでいった。
部屋にまた静けさが戻った。
セスは少しだけ眉をしかめて、しかし整った呼吸をしながら、目を閉じている。青い髪が片方の目にかかっているが、今は誰も触れられない。わずかな刺激でも無いほうがいい。
成功すれば、セスはこの世界で最も自分に近い存在になるかもしれない。アレックスの頭の中にあるのはその考えだった。
「転写は順調に進んでるわ」ミスター・フリントは自信を見せながら言った。学術的興味が満たされている時が最も嬉しい時なんだろう。
「人間への転送研究に興味はないのか」アレックスは言ってみた。
「そうね。やってみてもいいわ。そっちから考えてみたら、この研究に役立つことも見つかるかもね。それか、私が病院か死体安置所で逮捕されるとか」
「あんたは自分の手ではやらないだろ」
「そう見えるの?」
謎めいた笑みだった。こんな微妙な表情ができたら何かに役立つだろうか。
「どのくらいかかるんだ」
セスは眠っているように見える。
「それはわからない。個人差があるから」
「あんたの時はどれくらいかかったんだ?」
ミスター・フリントは謎めいた笑みを崩さずにアレックスを見ると、アレックスがじっくりと眺める暇も与えずにその笑顔を消してモニターに視線を映した。
「私の腕前が心配ならそれは無用よ。最初に言ったけどね。こんなエキスパートはいないわ。まあ比べようとしても他にいないだろうから、信用できないのは当然だけど。私だってそっちを信用してるわけじゃないのよ」
つまり親密な会話をする気はない。言われなかった言葉を受け取りながら、アレックスは色白なその手や冷たい色の瞳の動きを一瞬も逃さないように見続けた。ミスター・フリントの油断のない目が別のモニターの方向を通り過ぎようとして、止まった。アレックスもすぐにそのモニターを見つめた。監視カメラ映像らしきものが映っている。
爆破された扉の破片が、三人のいる部屋の内側へ向かって四散した。ミスター・フリントが体をのけ反らせて椅子から落ちて倒れ込む光景を見た直後、アレックスも右肩に銃弾を受けて後ろへ倒れた。発砲音が部屋を切り裂く。椅子の上のABに銃弾が撃ち込まれ、ケーブルが千切れ、回線が火花を散らした。セスが目を見開き、パニック状態で息がうまく出来ないまま意識を取り戻した。
椅子の背に頭を押し付けたまま異常な呼吸を繰り返しているセスの鼻から、鼻血が流れて顎を伝って落ちた。
レーザースキャンの光が部屋全体に照射され、壊れた出入り口に人影が近付いてくる。今度は銃のポインターが、アレックスの頭や胸を緑色のドットで埋め尽くした。
「そこのアンドロイド。動くな。動けば撃つ。我々はハポの使者だ。逃亡中のハポの国民を連れ帰るために来た」
部屋の中に人影がなだれこんできて、肩を押さえながら立ち上がったアレックスに今度は至近距離で狙いをつけた。
「手を上げろ」一番近くまで来た使者の一人が、銃を突きつけながらそう言った。
セスがやっと焦点の合ったような目で、銃を向けられているアレックスを見た。鼻血が流れ続けて、Tシャツの胸部は銃で撃たれたかのように血に染まっている。
「彼に近づくな」
セスはそう言って腰のホルスターから銃を抜いて構えた。頭につけていた装置を投げ捨て、接続されている線をまとめて引き千切って椅子から立ち上がった。だが片足が床につくかつかないかのうちに、体のバランスを崩して、色々なものの残骸が散らばった床に倒れた。立ち上がろうとするが、手足に上手く力が入っていない。
「早くそいつを確保しろ」
リーダー格がそう言うと、部下の使者たちがセスを引き上げて立たせた。
その時やっと、セスは絶命しているミスター・フリントに気付いた。医療機器を持って近づいてきた一様に同じ制服の使者たちとは別の服のハポ人の手を、セスは暴れて振り払った。だがすぐに顔を歪め、また倒れそうになる。それを使者たちが支えた。
医者らしきハポ人は周囲の施設と、作動中だった機器を見回した。
「やはりここで移植を行っていたようです。なんとか間に合ってよかった。たぶん脳に損傷を負っていますが、いまならまだ命は救えます」医者はそう言っていくらか安堵した表情を見せた。
「それで結構。移送車に乗せろ」
リーダー格の命令が下ると、使者たちは大切な同胞を連れて建物の外へと歩き出した。セスの足は引きずられていくだけで、ほとんど動いていない。人影のかたまりが遠ざかっていく。
「このアンドロイドは惑星のデータベースに登録されています。容疑者と一緒に行動していたわけではないようです」アレックスの偽造コードを読み取った使者がそう言った。
その声を聞きながらもアレックスの脳内では今聞いた医者の言葉がなんども再生されていた。セスの脳と脊椎はすでに深刻なダメージを負っている。間違いない。
いまならまだ命は救える。
「アンドロイドはこの惑星の治安部隊に引き渡す。そのあとで監視局に連絡する。とりあえず外まで連れて行け」
命令通り、使者たちはアレックスの背中を銃で押しながら、店の外へと向かった。
店の外には人だかりが出来ていた。これだけ派手に破壊したのだから当然だ。異星の使者とやらがこれだけの事をすれば、キャラバン・プラネットの人種でも何があったのかと目を向ける。使者たちはそんな人々を必要以上に近づけないよう統制しながら、セスの体を担架に乗せている。
アレックスは、どうすればいいかわからなかった。何か手を打たなければいけない。だが敵の人数が多すぎる。これ以上の怪我を負わせずにセスを救えるか。可能性は低い。自分も死ぬかもしれない。セスを救っても、もう一度移植を試みることができるのか。損傷した体で。だがなんとかしなければ。
最善はどこにある?
どうやったらセスを救える?
どれだけ素早く考えても、可能性を計算してもわからなかった。
そのアレックスの視線の先で、セスの体が動いた。セスは自ら担架の上から転げ落ちて、立ち上がろうとしたが無理だった。本人もそれをわかっている。使者たちがセスの体を掴んだ。セスはいきなり使者の一人にひじ打ちをくらわせて、その使者のホルスターにあった銃を握った。二人の間には距離があったが、アレックスの目にはセスがすぐに引き金を引いたのがわかった。
銃から発射音が炸裂した。ひじ打ちをくらった使者が、その場に倒れた。地面に血だまりができる。セスの体を掴んでいたもう一人の使者がその手から銃をもぎとると、なにかを叫んでセスの頭に銃を突きつけた。冒涜者め、そう言ったらしかった。
「やめろ!」
リーダー格があたりを圧倒するような声で怒鳴ると、銃を突き付けていた若い使者はひるんだ。その声と、転がった死体に、他の使者たちもうろたえている。貴重なハポの命が一つ失われた。使者という崇高な使命を果たす立派なハポ人の命が。
「喪失を二つにすることはない。この罪人に、補わせるべきだ。これから生まれる子供には罪はない」
使者たちは目が覚めたような顔で生気を取り戻した。こいつを早く車に乗せろ!という命令に、若い使者も銃を下ろし、罪人を車に押し込もうと拘束しなおした。
セス―――自分はもうそこから動くことができない。死を生きるしかない。ただ、破壊を待って。
アレックスの全身に、怒りと恐怖と憎しみがこみあげた。
自分の隣に居た使者のホルスターから銃を奪うと、アレックスはそいつともう一人反対側に居た使者を撃ち殺した。使者たちが状況を理解するよりも早く、少し離れたところに居た使者を次に撃ち殺してそいつが持っていた自分の銃とセスの銃を奪い返すと、強化エネルギーモードで近くに駐車してあったホバーカーのエンジンに向かって連射した。
爆風と爆音が一帯を駆け抜け、少なくはない数の人々が地面に倒れこんだ。あたりはパニックになり、周囲の無関係の人々はその場から逃げ出した。
使者たちは人々の悲鳴の中でなにかを叫びながら、一斉に武器を構えて発砲してきた。アレックスは腕に銃弾を受けながら自分をおさえこもうとした使者を盾にして、セスを押さえていた若い使者の頭に一発撃ち込むと、セスに向かって本人の銃を投げた。
煙の立ち込める空中を銃は突っ切って、セスのそばに落ちた。アレックスは自分の銃で使者たちに撃ち返した。その時背中に重い衝撃を感じた。
背後からアレックスを撃った使者を、セスが撃ち殺した。立ち上がれてはいないが、力を振り絞って銃を構えている。セスが別の方向へ銃を向けた。あのリーダー格の奴が脅えて逃げ出そうとしていた。
アレックスに足を撃たれて膝をついたリーダ格の使者の胸に、セスが銃弾を撃ち込んだ。
ホバーカーが二度目の爆発を起こした。
熱風と濃い煙の中をアレックスは走った。地面に膝をつき、血まみれのセスを抱きかかえた。
「罪人をひきはがせ!」
怒号とともに、着陸したシャトルから現れた残りの使者たちがアレックスに迫ってきた。その手には電磁パルス銃が握られている。
アレックスはセスを盾にするようにして立ち上がった。アレックスは強化エネルギーモードの残量が無くなって撃てなくなるまで、シャトルに向かって撃ち込んだ。
通りの両側の店先を吹き飛ばすほどの爆発が起こったと思うと、たちまちあたりが火の海になり、使者たちを焼いた。困惑し、無意味だということもわからないまま火を体から叩き落とそうとしている使者たちも、すでになにも感じることのない死体も、すべてが燃える炎につつまれた。
爆発を免れた僅かな使者たちが、機械を機能停止させるために怒り狂った攻撃を仕掛けてきた。電磁パルス銃を捨て、アンドロイドの脳を破壊しようと煙まみれの視界の隙間からこちらに突っ込んでくる。
アレックスはセスの体を離して今度は自分が盾になった。弱った体温が残る手に銃を持ち替える。
使者たちは遮る物のなくなったアンドロイドに銃を撃ちまくった。だが煙の中から標的を正確に補足する銃に襲われながら、倒れていった。一発の銃弾が、アレックスの左耳を吹き飛ばした。白い血が飛び散った。アレックスはそれでも撃ち続けた。炎から逃れようとしている使者も逃さず撃った。すべてを、破壊しつくした。奪いつくした。もう誰も撃ち返してこなくなるまで。
「セス」
いろいろなものを燃やした煙と、その燃えたにおいが吹きつけるなかでアレックスはセスの体に触れた。まだ白い血が側頭部から流れ続けていたが、ABは動く。血まみれの手で、アレックスはセスの体を抱き起こした。
「セス」
アレックスはセスの頬に触れた。アレックスはセスの手を握った。
そうしても、このABが涙を流すことができるとわかっただけだった。
アレックスは約束のためだけに、空の器を抱えて殺戮の現場から逃れた。 燃え盛る炎と煙のなかでもかろうじて目視することができた倒れた人影の数々は、周囲の車の爆発に巻き込まれて見えなくなっていった。
治安部隊や医療車のサイレンが近づいてくるなかで、アレックスは死体と炎で滅茶苦茶になった町の通りに背を向けて走り続けた。また大きな爆発が起こった。
chapter 13 へつづく