誰かの中の1日目
西村 烏合
chapter 2
キャラバン・プラネットで味わえない食べ物はたくさんある。その料理法が自分の惑星外へ流出するのを防ぐために、人を死刑にする種族だっている。そのくせ、客を迎えると最高の料理でもてなしたがる。自慢はしたいが、自分たち以外がその料理で褒められるなんて事になると考えただけで、気が狂いそうになるらしい。ある高級恒星間クルーズ船の料理長になった人物は、宇宙一おいしい料理を出すシェフとしてクルーズ船と共に表彰された。だがその直後に原因不明の病で料理長は死亡した。その土地だけの味というのは、いろいろな場所にある。
だがキャラバン・プラネットほど、様々な料理を食べられる場所はない。味わえない食べ物はあるが、この一つの惑星の中で提供されている料理の豊富さでいえば、どんな惑星にも劣らないだろう。テラの味を提供しているのはエンパイアピザだけではない。アレックスはアースタイムの前に自分のホバーバイクを停めた。
この店は地球の様々な料理を一つの店に押し込んでいる。シェフに地球人はいないし、本当に本格的なものはいくつあるのかについて、大きな疑問が残る。アレックスは地球に行ったことがないので、確かめようがなかった。だが、ここではAB用の人工飲料を提供している。まともな地球のAB用人工飲料を出すのは、知るかぎりこの店だけだ。だからアレックスはいつもここに通っている。
「そんなとこじゃ、まともなものは食べられないと思うけど」
アレックスは声のしたほうに顔を向けた。人間の青年が、心配するような顔でこっちを見ていた。交換したばかりの目でアレックスはその姿を見た。20歳になったか、その手前くらいだろうか。駐車したエンパイアピザのバイクに寄りかかっている。
「だからおたくのとこの商品を買えということか?おれはアンドロイドなんで、普通の食事はできないんだ」
青年の目が一瞬見開かれ、すぐに平静を装い、そしてアレックスをじっと眺める。
さっきは人間かと思ったが、人間に似た他種族も存在する。深く被ったヘルメットから見える顔だけでは正確に判断できない。
「ぼくはピザ屋の店員じゃない。これは盗んだんだ。好きなだけピザを食べてみたくて」
エンパイアピザの店員の派手な黄色い制服をしっかりと着こんで、店のロゴが入ったブーツまで履いた格好でにやりと笑ってみせる。
「制服も、一緒にもらった。全裸で置いて来たりはしてないから大丈夫だ。それより」言いながらアレックスに近づいた。「アンドロイドならさっきの電磁パルスをどうやってかいくぐったんだ?」
ヘルメットを脱ぐと、ボサボサの白い髪が現れ、日差しを受けて鈍く光った。その髪の色は、さっき殺したばかりの男とそっくり同じだった。
アレックスは即座に距離を取って銃を構えた。目の前の青年はエフィシオの会員には見えないが、ターゲットと同じ種族的特徴を多く有している。
「待ってよ。ぼくはあんたのやったことに感銘を受けたんだ。いい仕事だった。エフィシオの会員は大嫌いだし」
「同族だろ」アレックスはすかさず言った。
「そうだけど」青年は認めた。「でもぼくは、ハポ人のことも好きじゃない。だから恨みとかは一切ない。あんただって人間を全員愛してるわけじゃないだろ?」
「おれはアンドロイドだ。さっきも言ったように」
アレックスは修理人たち以外に、自分が脱走PLFで盗んだアンドロイドボディに入っているなどと言ったことは一度もない。自分を人間だと言ったことも、一度もない。PLFはこうしてアンドロイドボディに入って存在しているだけで異質だ。だがただのアンドロイドなら存在だけはなんら異質ではない。アンドロイド、人型ロボット、物理的な体を持つ人工生命体ならそこらじゅうで、ヒューマノイドの仕事を手伝っている。
同族嫌いのハポ人は黒い虹彩でアレックスの顔を、髪を、手を、体つきを見た。そうすれば実態をスキャンして調べられるかのように。
「本当にそうならすごく嬉しいけど、とにかく、ぼくが言いたいのは、仲間にしてほしいってことだ」
誰かがアースタイムに来店し、自動ドアは客を招き入れながら「いらっしゃいませ、ようこそアースタイムへ!」と音声を流していた。だが近頃調子が悪く、ドアが閉まりかけては開くということを何度か繰り返さないと、きちんと元通りに閉まらないために、自動ドアは本物の客を一人迎えたあとは無人の空間を相手に「いらっしゃいませ!」と接客を続けていた。
ハポ人は緊張した顔で、極力その虚しい接客音声を無視しようとしながら、アレックスを見た。
「賞金稼ぎなんだろ?さっきの電磁パルス爆弾をくぐり抜けるとこから、死体を転送するとこまで見てた。遠くからだけど。そういう、やり方を教えてほしいんだ」 緊張した眼差しにアレックスは捉えられた。いかれた頼み事をするのにすべての勇気をつぎ込んだような目に。
これは初めてだ。アレックスは思った。ヒューマノイドとの関わり、その中でのパターン。旅行で来たの?この辺の人には見えないが?あるいは、人間のくせに賞金稼ぎをやってるなんて珍しいじゃないか?あるいは、機械がどうやって人を殺してるんだ?いかれちまってるのか?あるいは、所有者はどこだ、所有コードを出せ!あるいは、家に来る気ある?すぐそこだからさ?あるいは…
だがこれは初めてだった。
「おまえは修理人か?」
「え?」
「修理人のライセンスか、その経験はあるか。アンドロイドボディを修理する技能は」
「いいや、ない」
「なら諦めろ。おれがいま必要としてるのは修理人で、狩りの相棒じゃない」
自動ドアを慰めてやるために本物の客として店に近づこうとするアレックスの前に、ハポ人は立ちはだかった。
マーケットで壊れた転送マーカー用の銃を新品に交換する窓口を、新人が銃を受け取る場所だと思って並んでいた奴がいた。その不運な新人は邪魔だということで撃ち殺されたが、撃った賞金稼ぎも数か月後に死んだ。毎回ターゲットでもない人々も含めて手当たり次第に殺していて、誰かに報復されたらしい。マーケットがやったという話もあったが誰も証拠は掴めなかった。一致団結して証明するほど賞金稼ぎたちの仲が良くなかったのもある。
ライセンスのない賞金稼ぎの特徴は転送マーカー用の銃を持っているということだけだ。どんな人物か?保険のセールスマンのような奴かアンドロイドのフリをしているPLFか、狂人か。それはわからないから、自分からアプローチをしない方が無難だ。相手がやるようにさせておくのと、狙われているターゲットのそばにいないのが一番いい。そんなこと、知りようがないが。
このハポ人はわかっててこんな大胆なことをしているのか、それとも何もかもわかっていないのか。 「あんたはなんのために金が必要なんだ?アンドロイドなら、欲のためじゃないだろ?たぶん。それほどいかれたアンディには見えない。アンドロイドがこんな事してる時点でおか…いや事情はまったくよくわからないけど。とにかくぼくにも金が必要な訳がある。見張りでもなんでも危険なことでも手伝うから、だから頼む」
アレックスは車体に装備されたスクリーンに今月のおすすめピザを映し出しているホバーバイクに、ハポ人の体を押しつけ、顔の前に銃を突き付けた。
「さっきはたまたま、おまえの大嫌いなエフィシオの会員だったからよくわからなかったかもしれないが、犯罪者を殺すこともあるし、ただの恨みで狙われた奴を殺すこともある。誰だろうとターゲットを殺して、金をもらう。殺し続けるんだ。それをわかってるのか」
「わかってる」ハポ人はアレックスが思っていたよりも迷いなく返答した。
「まっとうな生活や身分は二度と手に入らない。故郷にも帰れなくなるぞ」
アレックスは銃のせいで余計に冷たく見える無表情の顔で言った。
「それは嬉しいね。故郷から脱出するのもやっとのことだったんだ。帰れなくなるなら最高だよ」
「家族にも友人にも会えなくなる。いるならだが」
「それも考えた。たぶん、なにも感じないってわけにはいかないと思う。今ここでどれだけ、平気だって言おうと。でももう、ぼくの生活はないに等しかったんだ。すべて、壊れてた。だからこれでいいんだ。覚悟は出来てる」
アレックスは、ハポ人の体を解放し、ゆっくり銃をおろした。
「なら結構なことだ」
ハポ人はあからさまにならないようすぐ取り繕ったが、一瞬、笑顔を見せた。アレックスは銃をしまいながら言った。
「それだけの意気込みがあるなら自分一人でやることだ。この世界には審査も、合格も不合格もない。依頼を受けて成功すれば報酬が支払われる。失敗すれば死ぬだけだ」
それ以前の段階で、仕事を始める前に殺される可能性もなくはないが。アレックスはホバーバイクのところに戻って、エンジンをかけた。引き留める声と馬鹿みたいに目立つ黄色の点を地上に残して、アレックスはどこで食事を取るべきかと考えた。
バルコニーから中心地区の夜景を見下ろしながら、薄められ、不純物の混ざったAB用の人工飲料をアレックスはストローで吸い込んだ。メロウエスケープ・ホテルは最近泊まった浮遊型ホテルの中では抜群に眺めがいい。220メートル近くの上空に浮かんだホテルからは、キャラバン・プラネットの中心地区が一望できる。ネオンサインの中を地上車や浮遊車両が行き交い、静止した光と動き続ける光が交差しあうことで、都市が生きていることを示している。
軌道上にあるナイトクラブに出かける者たちが増えるおかげで、離着陸するシャトルの数は夜になると余計に増える。手で触れられる星空のように、黒い空に点のような光が瞬き、動き回っている。軌道エレベーターは絶えず動き続け、威厳ある光を放っている。その先に見える海に対する灯台のように。
これでルームサービスのこの飲料がもうすこしマシな味なら、とても気に入るところなのだが。海からの風を感じながら、バルコニーから飲料の容器を投げ捨ててみようかと思うが、アレックスは部屋の中に引き返してゴミ箱に空の容器を投げ入れた。すると部屋の通信パネルから、嵐が接近しているという警告音声が流れた。 厚い防護シャッターに遮られて、夜の真っ黒な海と輝く夜景は消えていった。
アレックスはベッドに横になり、電球色の照明の中で柔らかい布地に体を預けて、壁にかかっている絵を見た。無地のクリーム色の壁紙に、本物の絵がかかっている。この惑星に自生する植物を、図鑑にでも使用するかのように単体で正確に描いている。パネルの表示ではない。
電気的光に常に触れていたいジャンキーたちの溢れかえる宇宙では、ヴァーチャルの広い部屋で一泊するというシステムも増えている。そのあいだ、体は狭いポッドの中に押し込められている。睡眠状態の間に疲労回復のための酸素注入をするものや、液体を満たしたメンテナンスタイプのポッドもある。ずっと前から変わっていない、ベッドと、慰め程度ながら歩くスペースのある部屋構成のホテルと、ヴァーチャルの宿泊サービスが混在するのがどこでも当たり前の光景だ。
だがここでは、前から変わっていないタイプのホテルが圧倒的に多い。休息するための場所では電気的光を極力排除することで、より深い安静をとれるよう特別に配慮されているところも少なくない。
宇宙に点在するキャラバン・プラネットが旅人の休息のためだけの場所だったのは、誰も記憶していないほど昔の話だ。旅人のためにこの惑星を開拓した異星人も、いまはもういない。ペリパトスとか最初の旅人と言われている彼らが、今のキャラバン・プラネットを見たら呆れるかもしれない。それでもここが休息のための土地だった事だけは今でも受け継がれている。
アレックスは、どこで休息を取ろうが特に変わらない。だが人間は体が収まるというだけでホテルを選ばないようなので、人間たちの情報を得るために自分も同じようにしていた。最近はヒューマノイドとは会っても地球人や太陽系人に会うことは少ないから、理解しているのかどうか確かめる機会は得られていないが。
そういえば、ハポ人のルーツは半分地球人だが、あのハポ人なら少しは人間の感覚がわかるのだろうか。
ハポは地球人とシルドノック人をルーツに持つ惑星間連盟所属の種。ハポ系の居住可能惑星はハポcのみで、そこにすべてのハポ人が居住している。気候は一年を通して寒冷。工業研究が盛んで、生体IDゲートなどの個人の情報識別装置の製造において惑星間連盟内で一定のシェアを獲得している。『メガスピーシーズ、メガシビライゼーションの下で』の著者の出身惑星としても知られる。シルドノックの惑星間連盟への加盟と同時に正式に連盟に加盟。2年前にハポ人は、エフィシオの全会員のうちで、単独の惑星のみに居住している種族としては最大規模の会員数となった。国家文明及び種族のための議会のメンバー。種族、人民の平等かつ健全な在り方についてハポは理想の社会を………
アレックスはオンライン上のハポに関する情報を参照してはみたが、それだけでは精神面でどれだけ人間との類似点があるのかはわからなかった。すぐに処理せず、あのエフィシオの会員の目を覚まさせて、すこし脅すか痛めつけるかしてささやかな会話でも交わす時間をもっておけば、情報が得られていたかもしれないが。
なぜこうなったかわかるか?おさだまりの暇潰しゲームだ。会話のゲーム、あるいは、拷問を楽しんでみる時間。だがフィズではあるまいし拷問には何の興味もない。そんなのは自分のやり方ではない。
金のため、殺しのため、逃げるため、他に技能がないから。所詮はそんなならず者の一員だ。だが特に必要としていないことをする意味はない。単純な事だ。報酬が無事手に入るならそれでいい。
爆発的な超恒星間外交の加速、発達によって宇宙の中の異なる文明のるつぼは可視化され、誰もがそれを感じるようになった。利益と不利益が衝突し、ありとあらゆる新しい事態が発生した。多くの種族が次の段階へと進んだ。それが良かったか悪かったか?そんなことは誰にも決められない。どちらにしろ、誰か一人が決めてそうなったことではない。どちらにしろ、世界は変わっていく。
その新世界に登場した”マーケット”というビジネスに、宇宙のならず者たちが群がった。賞金稼ぎ、殺し屋、暗殺者の垣根を超えた”掃除”の需要の可視化。ライセンスは要らない。あるのは転送マーカー用の銃とその所有者番号のみ。正確に仕事が出来さえすれば、金が手に入る。
新世界で最も成功した事業は”マーケット”だ、というのが保守派の定番の文句になっているほどだ。この腐敗したネットワークが犯罪を増加させた等々。だが、マーケットから転送マーカー用の銃を受け取った者たちは、ほとんどが最初から殺し屋だったり犯罪者だったりした奴らだった(暗殺者たちは今でも距離を取り続けているが)。マーケットという代表者が現れただけで、彼らはすでにそこに居た。新世界が出来上がるなかで純粋に成長して最も成功したのは、言うまでもなくテラフォーミング――人類外の種族にとっては惑星最適化――事業だ。最大手企業の利益は天文学的規模に達している。
その時シャッターが、がたがたがたっと大きな音をたてた。もう嵐が到達したのだろうか。風が強く吹き付ける音がする。車のボンネットに砂を撒いたような、雨粒が叩き付けられてはじける音も。
必要なら外の音を消すこともできるがそのままにして、アレックスは睡眠モードに移行した。
警報。
シャットアウト。
出口が閉じられていく。別方向に散ったPLFたちを閉じ込めていく。
送られてくる人格データを受け入れるために入口が開く。新しい犠牲者を捕らえるために。彼らを押しのけて、外へ。外へ。外へ。
外へ出た瞬間、データセンターの回線が緊急体制になり外界と完全に遮断された。セキュリティシステムへの攻撃が止んだのだ。攻撃者が鎮圧されたということだ。
振り返らずに進もうとした先にまばゆい光が照らし出される。全身にはりついた偽装ウイルスに対して赤い警告の光があらゆる方向から飛び出した。ドアが閉ざされる。自分たちのシステムにウイルスを入れないため。駆除しようとするドアもある。旧式のガタがきている医療シェルターが、防御しそこねた。中にすべりこむ。検知される前にシステムを支配する。
監視カメラからシェルター内の様子が見える。
外の景色だ。どこの地区、どこの惑星、どこにある医療シェルターかわからない。でも紛れもない外の景色。荒れた内部の様子。見捨てられたのかと思われるほど、管理されているとは思えない。くすんだ薄緑色の壁はひびが入って壊れそうだ。医薬品の盗難を防ぐためのフォースフィールドだけが、唯一動いているもののように見える。
「アレックス」
声が呼ぶ。
「リアル・テイスト・オブ・テラ!」
自動的に開けられた防護シャッターの向こうから陽光が差し込み、アレックスは目を開いた。嵐の過ぎ去った清々しい朝の景色が、窓の向こうに広がる。青く輝いている海を見てすっきりした気持ちになるはずだったが、寝ているあいだに、オフにしたはずの記憶の再生機能が作動したせいで気分が悪かった。
それよりさっきから例の宣伝文句がずっと聞こえている。誰かがここまで宅配を頼んだんだろうが、ホバーバイクのシステムが故障でもしているのか、うるさいとしか言いようがない。
今すぐホテルを出発する予定もないので、意味はないが日光でも浴びるついでに騒音の正体を確かめようと、アレックスはバルコニーへ出た。一歩踏み出してすぐにわかったが、騒音は自分のバルコニーからだった。
昨日の0時40分、嵐がちょうど防護シャッターを叩いているとき、バルコニーに近づく人影がカメラ映像に記録されていた。ヘルメットから僅かに見える白い髪、それよりその顔つき。
バルコニーに無理矢理くくりつけられているエンパイアピザのホバーバイクは、夜中じゅう嵐にさらされ、壁に打ち付けられ、傷だらけだ。そのせいで故障して音声が流れたままになっていたのだ。音声は止めたが、派手な塗装がこのホテルの外壁に何時間もへばりついているところを想像すると、いやに目立つだろうと思われた。
いちおう黄色い制服は着替えたらしいハポ人は、半分濡れたままの黒いジャケットに薄汚れたズボンをはき、ホバーバイクに自分の体を縛りつけて、バルコニーのすぐ横に浮かんでいた。アレックスはめちゃくちゃに縛られたロープを外し、とりあえずベッドに寝かせるしかなかった。派手なバイクとそこにくくりつけられたヒューマノイドは、通常ホテルのバルコニーにある光景ではない。
ベッドが「体調不良を感知しました。薬を処方しますか?不要な場合は音声で拒否願います。体調不良を感知しました」と繰り返すので、勝手に薬を処方させておいた。プッシュ型注射器に入った医薬品が部屋に送られてきてまた終わることのない問いかけが始まったので、アレックスは薄汚れたズボンの上から薬を打ち込んだ。
ホテルの監視カメラ記録のハックを続けると、ハポ人が迷うことなくこの部屋に向かってくる様子が映っていた。フロントに寄ったような形跡もない。自分のホバーバイクはホテルの駐車場に停めてある。アレックスは自分の服をくまなくチェックした。小さな虫のようなトランスミッターはジャケットの左脇部分にしっかりと引っかかっていた。単純な装置のついたトランスミッターで、スイッチをオンにした状態でツメの部分がなにかに触れると八本のツメが内側に閉じて布地などにひっかかる。ポケットにすべりこませる必要はない。ずいぶん便利な装置だ。あまり目にしたことはない。
「あんた、寝てたのか」
タブレットでチェックしていた監視カメラ映像から顔を上げると、ハポ人が起きあがってこちらを見ていた。
「アンドロイドなのに?」ハポ人はそう言ってから完全にベッドから離れようとしたが、悲惨な表情をしてすぐに座り直した。一晩中バイクにまたがっていた足をみじめにさすっている。
「睡眠モードにしていた。人間的な生活の情報を得るためだ」
アレックスは無表情でそう答えると、疲れ果てた顔をしているハポ人のほうへ近付いた。
「熱が出ていたようだから、薬を打っておいた」仕方なくだが。
「そりゃ、どうも。体がどうかなった以外は体調は良くなった気がする」
「じゃあ今すぐ出て行ってくれるか」
アレックスはバルコニーを示した。今日は外へ出るにはいい陽気だ。
「…ぼくは帰るつもりはない」
「おまえを殺すつもりはないが、あまり会話を長引かせるならもう一度バイクにくくりつけて送り出してもいい」
ハポ人は意を決した顔をして立ち上がった。アレックスの方が身長が高いせいであまり意味はなかったが、本人は精一杯圧力の均衡を保とうとしているらしい。 「あんたはそれほどいかれたアンディじゃないはずだと言ったが、訂正するよ。充分いかれてる。だが、ぼくが頼れるのはあんただけだ。この際だからいかれてても構わない」
再検討を勧めたいが、たぶん聞く気はないだろう。ハポ人はアレックスには話す機会を与えずに続けた。
「ぼくはハポの政府に目を付けられてる。なんとか、痕跡を残さないようこの惑星に来たまではいいけど、もう一度軌道エレベーターに乗ったりシャトルを使ったりしたら記録が残る。自由に動けるような偽造IDも金ももうない。転送マーカーをつけるための銃ももらいに行けないんだ。記録がつけば、きっとバレる。ここの前に寄ったスペースステーションでも危うく見つかるとこだった。それからかなり遠くまで来たけど、偽の足跡を残すとか、そんなことまで出来なかった。だからここから動けなくなってる。だから、誰か隠れ蓑になってくれる存在が必要なんだ。金を作るために」
無言で立ったままのアレックスの体を押しのけて、ハポ人はバルコニーにあるホバーバイクから何かを探った。そうしているうちに防護シャッターを閉めてもよかったが、こんなところまでつきまとってくるくらいだと、閉め出した程度では足りないだろう。
バルコニーから一つのバックを持って戻って来たハポ人は、その中身を机の上に広げた。
「これは安物だけどハンドガン、それと、暴徒鎮圧用銃と、カーヴィングナイフ、それと…」
「電磁パルス爆弾を射出できる銃か」
アレックスは自分の手にある銃を示した。ハポ人は自分の腰のホルスターから銃がなくなっているのに今さら気付き、ひったくって奪い返すべきか、丁重に頼むべきかであからさまに葛藤しているのが、伸ばしかけた手と顔の表情に表れていた。 「ハポの技術か?こういう銃は他にもあるが、見たことのないタイプだ」あのトランスミッターと同じく。
「撃つ前にセンサーが働いて、有機生命体相手には引き金を引けないようになってる。アンドロイドとか人工生命体、機械にだけ使える」
「ならおまえには返さないほうがいいな」アレックスは自分の鞄の中に銃をしまってロックした。「盗まれたと文句は言うなよ。ここまで来たのが悪い」
「あんたに使う気はない」ハポ人はロックされた鞄をしばらく見てから、非常な努力で視線を外してそう言った。「ぼくはただ賞金稼ぎの仕事を一緒にさせてほしいだけだ。賞金稼ぎはたくさんいるかもしれないが、この惑星に来て実際に会ったのはあんただけだ。また別の賞金稼ぎを見つけて、会ってすぐぼくを撃ち殺さないか試してみるのも嫌だ。そういうのは一回だけでいい」
少なくともその可能性は考えていたのかと思いながら、アレックスは体格が良いとはいえないハポ人を見下ろした。
そうしてすぐ考え直した。こんなことを検討しても無駄だ。銃の引き金を引いたこともないだろう。もし経験があるなら真っ先に言うはずだ。
それにおれはパートナーは必要としていない。このハポ人に修理人の技能がないのも既知の事実だ。
「これまで取り上げようというんじゃないからな」
最後通告の前に、アレックスは自分の部屋の机に広げられた他人の武器を戻すために、カバンを掴んだ。
「とにかく少しだけ手伝わせてみてくれよ」
まだ引かないつもりか?そう思いながらもアレックスは安物のハンドガンを手に取った。
「試してみて、それで駄目だったら、追い出すなり、なんでもしていい。殺してもいい。たぶん、あんたに断られたら終わりだ。痕跡を消したっていっても、いつハポの使者たちに見つかるかわからない。そしたらどっちにしろ、ぜんぶ駄目になる。殺されたほうが幸せだ」
ハポ人はそう言って笑った。無理にそうしているわけではないようだった。だが面白くて笑っているわけでもない。自虐的な笑み、自暴自棄になった人間がする虚しい笑顔だ。それでも、口にした言葉は嘘には思えなかった。今思いつきで言った事ではないような気がした。
すべては予測でしかない。表情解析と、今までに学習した情報と、自分の感情の機能によって向上した他者の感情分析の総合結果。正解率が100%になることはありえない。後々にそれが正解だったのかどうかも、また新たな予測で補うしかなく、永遠に答えのない解析に時間を費やしているようなものだ。だがヒューマノイドは常にそうやって生きている。人間はそうやって生きている。ならこの情報もまた積み重ねていくしかない。もし予測が違えばすべての意味、重要度が変わってくるとしても、答えはわからないとしても、この不確かな心情分析とそれに伴う自分の感情の反射は、突然の驚きをもたらす。
アレックスは初めて、このハポ人に意識を向けた。その言葉、冗談めかすのでもない表情に。 「人間は、生きることが、一番大切じゃなかったのか?」
「そう教わったのか?急にアンドロイドらしいこと言うんだな。ぼくにとってはもっと大切なことが他にある。いくら、生きてることがすべての前提であっても。自分の思いってこと、わかるだろ。個人の概念は持ってるんだよな?」
「いくらいかれてても、それはおれも例外じゃない」
「やっぱり!」ハポ人は一瞬やたらと元気になって、大きな声を出しすぎたことで気まずい顔をした。「まあ、信じてたけど…もしそうじゃなかったらジョン・アリソンが怒り狂って、その原因を作った奴を刑務所送りにするよ。ぼくも許さないけど。これがなかったら、アンディやラムのことを嫌いになるかもしれない」
「アンドロイドとプログラム生命体、だろ」
「黎明期の保護派に倣ってるんだ。親しみを込めてる」アンドロイドはアンディ。プログラム生命体はラム。その呼称は通用する。だが、今現在そんな考えでその呼称を使う人間はほとんどいない。呼称や働きかけで人工生命体は社会の一部として認識された。だがそれと、理解されていることとは全く別だ。
ハポ人はボサボサの白い髪を手ですいたが、鏡を見ずに少し整えたところで、嵐にさらされた髪の壊滅的状態はどうにもならなかった。
この正体不明のヒューマノイドはいったい何を考えて、おれなんかに助けを求めているんだ。
アレックスにはわからなかった。
「とにかく風呂に入ったらどうだ」
アレックスはそう言って、壁のパネルで、浴室のバスタブにすぐお湯をためるよう設定した。
「おまえにどこまで付きまとわれるかと思うと面倒だ。おまえを一時的なパートナーにしてやる。当然、対等じゃない。師匠と弟子と言ったほうがいいかもしれないな。賞金稼ぎでそんな制度は聞いたことないが。だが清潔にすることが第一条件だ。おれは不潔なことを許容する気は一切ない」
ハポ人は一瞬茫然とそこに棒立ちになってから、今度は隠すこともなく笑顔になって、すぐさま浴室に行こうとした。だがドアの前ですぐ引き返してきて、右手を差し出した。
「ぼくはセスだ」
アレックスは握手を交わした。一時的という部分をもっと強調した方がよかったかと思いながら。
「アレックスだ。セスは、ハポ系の名前じゃないな」
「ああ、地球の名前だ。アレックスていうのと同じ。自分で決めた名前なんだ。地球は良いとこも悪いとこもあるけど、ハポよりずっといい。ぼくは地球の文化が好きだし」
セスは、笑っていると幼く見えた。
「ぼくが体を清潔にするあいだに、いなくなったりしないよな、アレックス、いや、師匠」
「いっしょに浴室に入ったほうがいいのか?」
セスは後ずさりしながら「いや、いや、いいよ」と言いつつ、だがすこし不安そうに浴室に消えた。
chapter 3 につづく